昔の映画を見ていると、役者は明らかに今より重量を感じさせる。
重量とは、重々しい 落ち着いた 威厳がある。
いろいろ言い方はあるだろうが、一言で言うと本物っぽい感じとでも言えばいいか。
映画、大菩薩峠の片岡千恵蔵を見ていたら、大時代的な芝居のような台詞回しや、展開のもっちゃりした感じなどを省いてなおかつ、役者の存在感ってのを強く感じた。

ひとつには、役者のアップのときに微動だにしないってもあると思う。とにかく動かない。彫像のようにも見えるし、一瞬ポーズ(一時停止)が掛かったかと思うほど画面の中で張り付いたようになっている。
セリフを言っている時も、ビタッと体全体が動かない。あまりに動かないので見ていると自然とそこに吸い込まれそうになる。
この微動だにしないってのが大物ぜんとする一つの条件なのかなー
変わって現代のテレビを見れば、
男も女も(特に女性アナ)話すときにクネクネと体を動かしたり、首を動かしたり落ち着かなくてしょうがない。
スタイルは(西洋的な意味では)いいのに、全体がなにか姿勢が崩れている感じがするのと、このクネクネした話し方、立ち振る舞いが、なんだか画面を通してみていると軽くかつ嘘臭く見えて損をしている。
その一方で、スポーツその他の世界共通のルールで戦う舞台では、明らかに世界相手に善戦する日本人は確実に増えているわけで、このギャップはなんだろうナーーーとボンヤリ考えている。
逆境が人を創るのだとしたら、戦中や貧困を知っている世代が人としての格を結果として上げていたのは良しとして、では格が落ちる現代日本人のほうが、世界ルールの舞台では昔より活躍するのはなぜなのか?
身体能力と人間力は相克しないもん(健全な肉体に健全な精神)と思っている自分には良くわからん。
誰か回答をくれないだろうか?
重量とは、重々しい 落ち着いた 威厳がある。
いろいろ言い方はあるだろうが、一言で言うと本物っぽい感じとでも言えばいいか。
映画、大菩薩峠の片岡千恵蔵を見ていたら、大時代的な芝居のような台詞回しや、展開のもっちゃりした感じなどを省いてなおかつ、役者の存在感ってのを強く感じた。

ひとつには、役者のアップのときに微動だにしないってもあると思う。とにかく動かない。彫像のようにも見えるし、一瞬ポーズ(一時停止)が掛かったかと思うほど画面の中で張り付いたようになっている。
セリフを言っている時も、ビタッと体全体が動かない。あまりに動かないので見ていると自然とそこに吸い込まれそうになる。
この微動だにしないってのが大物ぜんとする一つの条件なのかなー
変わって現代のテレビを見れば、
男も女も(特に女性アナ)話すときにクネクネと体を動かしたり、首を動かしたり落ち着かなくてしょうがない。
スタイルは(西洋的な意味では)いいのに、全体がなにか姿勢が崩れている感じがするのと、このクネクネした話し方、立ち振る舞いが、なんだか画面を通してみていると軽くかつ嘘臭く見えて損をしている。
その一方で、スポーツその他の世界共通のルールで戦う舞台では、明らかに世界相手に善戦する日本人は確実に増えているわけで、このギャップはなんだろうナーーーとボンヤリ考えている。
逆境が人を創るのだとしたら、戦中や貧困を知っている世代が人としての格を結果として上げていたのは良しとして、では格が落ちる現代日本人のほうが、世界ルールの舞台では昔より活躍するのはなぜなのか?
身体能力と人間力は相克しないもん(健全な肉体に健全な精神)と思っている自分には良くわからん。
誰か回答をくれないだろうか?