四月になってからもう半月経とうとしている。
未だに落ち着かない日々を過ごしている。 余震は相変わらずだし、原発は不安定。
景気は悪いし、東京はこっちの気分もあってか皆顔色がやや蒼く見える。
うららかな天気とは裏腹な気分だ。
日本人には、最終的に暴走すると手に負えなくなる原発のようなシステムを管理する能力は弱いのかなーと感じている。自然に対しての畏敬と畏怖、神道の神は救いだけではなく祟りをも与えるもので、何か起これば寄り添って身を寄せ、神の怒りが静まるのを待つ。
外敵に対して征服し乗りこなすではなく、寄り添って静かに運命を受け入れる、見方を替えれば実に潔い武士道なその姿勢と、曖昧な物を曖昧なまま受け入れ飲み込んでしまう国民性は、
うまーく回っているときはその冗長性が物凄く長所で発揮されるものの、
このように一歩間違えると抜き差しならない状況に転がっていってしまう状況時の判断力としては、どうしても合理的な判断を即断するのが難しくなってしまうのかな?と
車の通らない道で信号器を守るのはドイツ人か日本人とよく言われますが、日本人はその場にいる他者の目を気にして信号を守っている要素が大きいのに対して、主義主張という個人主義で守るドイツ人か、守らない他西洋人といったように、日本人のそれとはだいぶ違うと思う。
一部の隙も無く理論と論理の積み重ねによって出来あがった原子力発電のようなシステムは、
なすすべもなく立ちつくしたり、力無くへたり込んだりすることを許される曖昧好きな日本人にはちと荷が重すぎるのかも知れない。
種を創造する事に弱く、種を育てるのが得意な日本人。向き不向きがあるのでどちらが偉いというわけじゃないから、その(日本人の)特性をよく理解して物事は採用していかないといけないんだなーー。と思っている。