ここ暫く周りの人間に対して、「頑張れ」「大丈夫だ」「負けるなよ」(書くとオーバーだな)と声を掛けていたように思う。
行き過ぎた自粛は自分自身を精神的に蝕む、被災者を救うのは自分達だ等と大層に考えていたからだが、
先日知り合いがメールを一通寄越してからちょっと考えさせられている。

四月に行う某定例会への不参加のそのメールには、被災した地域の人々への憐憫と、どうしようもなく無力な自分に対してのやるせなさから、どうしたって参加する気がしない。という内容が切々と書かれていた。

それを読んで、頑張れ頑張れと言っていた自分のメッセージは、頑張れない人に対して残酷以外の何もんでもないかなと、またそれは実は他人に対してではなく、正に自分を鼓舞するための隠れメッセージだったのではないかなーーと。

周りはドンドンと被災者支援に動いていたり、自分達も何か出来ないか我先に手を上げていってみたり、良い話ながらも、逆にそうしないと自分の足元が崩れていくような不安を感じているのかもと思ったのだった。

そんな思いを持っていたところ、知り合いの一人がそのメールに対して、寄り添いながらも慰めそして励ますようなメールを書いてきた。読んでいて大いに勇気付けられる。(ちょっと泣)

震災は、普段見えない物事の矛盾や不条理を炙り出すけど同じように、普段見えない人の優しさや繋がりも感じさせられ胸が熱くなる事だってある。悪いことばかりジャナイと思ったのだった。
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