知り合いに、出来合いのおせち料理を送ることはあっても自分で食べたことは無かった。
おせち料理が家事の賄い手のお休みの為の物であって、今ではかなり儀式的なものだけになっている。またあまりその手のことに興味は無いと思っていたからだ。

が、今年田村で食事した時にパンレットを見て、値段もバカみたいな価格でなかったので試しに頼んでみた。

イメージ 131日に送られてきたのを 正月に食べてみたが。「ああこれなら納得」という味だった。


正直四人前で三万という価格は一人7500円(税別)ということで、これで不味かったら暴れてしまう値段なのでおいしいのが当たり前かもしれない。
しかし、ひとつひとつの料理がああなるほど出来合いを並べるだけのもんと違い、ひと手間掛けてあるのが食べて良くわかるので正月から少々うれしい気分になる。
でそのとき、
最近読んだ、アドラー心理学系の本で
ひとの生き様について簡単に定義づけされていたのを思い出した。
ひとの生き方には大きく三種類。


①何も考えず植物のように目の前の事象をそのまま受け入れただ生きていくカブ的生き方。
②自分の生きる目的は、自分の利益は何かを考えてだけ生きるビジネス的生き方。
③人生は何を表現していくかをテーマに生きる造形芸術的生き方。


まっ当然三番目の生き方を目指して生きて行こうって結論な訳ですが、
70年近く前に書かれたこの人の本は十分今でも有効で、逆にこの本が書かれたアメリカ大恐慌の時代は、今の日本の状況ととても酷似しているというのが、またシンパシーを感じる点になっている。(大恐慌で大混乱し、未来への展望を無くしていた当時のアメリカに、時の大統領は演説で「本当の恐怖は、恐怖に恐怖を感じて何も出来なくなってしまうことだ。(恐怖は自らの中にあるってのかな?)」と力説して、前を信じて進むべきと説いたそうだ。)


で、おせちを食べてなんでそんなことを思い出したかって言うと、ここ暫く自分の生き方が「自分の利益をかんがえて行動しているだけっ(ビジネス的生き方)」ということに行き詰まり感を感じていたって事と、
おせちを食べたその周りの人の笑顔を見て、またそれを作った人間のうまいものを食わせようっていう矜持を知ったときに、何かほっとした嬉しいものを感じたって事からだ。


造形芸術的な生き方ってのは、人の集団の中で生きている社会的動物である人間が、周りの人間の為に自分が何を表現していくかを突き詰めていく事で、それが利益や、ただ生きているのは違う幸福を感じる大事な鍵だと論じている。で、それはこのおせちを食べて単純「美味しい」と周りの人間と分かち合えたことに対しての幸福な感じに他ならない、かな?と思ったからだった。


酒が入ってるので全く文章がまとまらないのだが、まっそんなとこで。終わり