
計画して→実行して→(結果を)検証して→(より良く)修正していく。という事で
これを繰り返して物事の完成度を高めていく、ために必要な行動の基本と認識している。
提唱したのは品質管理の父デミングさんと記憶しているが、なんか経営学だったかでも似たようなことを言われた覚えがあるので違うかも、ただ仕事をする上での自分の基本概念になっている。
あったりまえと言われそうだが、実際の仕事の現場ではこの当たり前が実にいい加減にされているのが良く見受けられる。
プランしてドゥしてそのまんまほったらかしとか(結局その件はうやむやになる)
プランしてドゥして、チェックするはずが批判ばかりおこって建設的な次の話に行かないとか(で、やっぱりその件はうやむやになる)
自分の仕事という極々ミクロな話でもよくあるのだが、実は国家レベルの話でもこの手の話は多いと思う。
例えば、第二次大戦における戦後の日本の対応がまさにそれに近いのでは?。なぜ戦争がおこったのかという背景、問題点、利点等の検証が未消化のまま、「日本の侵略戦争」とレッテルを貼って探求をタブー視する。探求者現れると「右翼」「左翼」要するに「異端のトンデモ話をする輩」と一括りにして片付けてしまう。
レッテルを貼ると検証が終わってしまうので、人はそれを探求しようとする興味を失う。
(よく仕事でもあるよな、いわく「あいつは仕事が出来ない」以上終わり。「あそこは駄目だ」以上終わり) レッテルを貼るという行為は、その人や事柄を決め付けて頭の中の整理箱に突っ込んで忘れるだけなので、そこから学ぶことも、反省することもなくなってしまう行為になる。
逆に言えばレッテルを貼るとそれ以上それにかかずらわる事から開放されるので楽なのだ。
というふうに考えると、他にもごく最近のゆとり教育の見直しもそれに当たる。受験戦争とか学歴至上主義とかの反動から出てきたゆとり教育の反省点、利点その他を詳細に検証することなく、「あれは駄目だ」以上終わり。で見直しをかけようとしている。
正にプランしてドゥしましたが、その先は全部ほかしてやり直し。って感じになっている。あまつさえ「戦前の教育は素晴らしかった」なぞと無批判に言い出す人まで出始めて、、、これこそ、マネジメントサイクルをきっちりとやっていれば、悪いところは正し、いいところは伸ばしって風に出来るはずでーー
http://blogs.yahoo.co.jp/nado1298/48553229.html
なぜこれが出来ないのか?なんで古い建物を何も考えずにドカドカ潰して、継承の無いまますぐ新築の家を建てようとするのか?
それが日本人が得意なのか?(あまりそうは思わないんだけど、、)なぞと考えるのだった。
http://blogs.yahoo.co.jp/nado1298/48647347.html
この「マネジンメントサイクル」のミソは正にこの「サイクル」サークルとして回していくの部分で、繰り返し回していくことで、サークルの真ん中に位置している、この方策の向かう着地点(目的)の精度、成果をより向上させるのが目的。
元々人のやることに確実なんか無いのだから、違っていたら何度でもリトライしてよりよい方向と目的地に持っていけばよいはずだ。(これはローリングプランとか言われると奴だと思うが、、、)
なのになぜにこの手の話は、サイクルとしての話ではなく、直線的リニアな話になってしまうのだろうか
(計画しました→やりました→駄目でした→全部潰して、全く違う方向で仕切りなおします!。)? 不思議だ。
ただその一方で、この手の話は飲み屋でのクダを巻くときには最適な話題と認識しているので、所詮自分も、国という大きな船に乗りながら、その船を罵倒している輩になっているのか?と考えたりもするのであった。(沈むときは一緒なのにね。)
http://blogs.yahoo.co.jp/nado1298/50772019.html