イメージ 1

この映画製作年度は昭和19年 日本があらゆるところで転進、玉砕。物不足、食糧不足が深刻化していた頃の作品。
映画は国威発揚という目的で軍部の全面協力のもとに作製された。

そのかいあってか、戦闘部分に関しては恐ろしくリアル、プリントの状態が悪くちょっと暗めの映像だったのもあるのか、
もうこれは今見ても立派に一級品の戦記映画になると思う。
内容は国威発揚映画って事もあって、清く正しく美しい軍隊って感じだが、、、

これ当時見ちゃったら、ただでさえ軍国主義だった頭が、大いに気持ち発揚される事は間違いないと思う。

よくこの手の映画やマスコミが国を戦争に駆り立てたという論調と、この手の映画を作った人たちの道義的責任って奴が問題になるが、無責任な言い方をすると、それもこれも時代がそうだったから、、、と言えてしまうのではないか?

開戦が、当時の民意を無視して行われた訳ではないし、「連盟よさらば」 なんて当時の新聞の見出しに国民の大多数はカタルシスを感じていたはず、その風潮を作ったのは全てマスコミと国の謀略というはあまりに無理がある。

自分の父や叔父以上はもろに出兵した口だが、当時の日本の大多数の臣民は戦争に対しての厭世感とは無縁で、
神の国イケイケドンドンどこまでも って感じだったと聞く。

逆に終戦になったらいきなり
「それ見たことか。勝てる訳無かった。僕達は国躍らせられた被害者だ」って声が出始めたことに
予想したとは言え、お前一応積極的に神輿を担いでいながらそれはネーダロよって思った事もある
と戦争の死に損ないである人は言っていた。

人の移り身が速いのは世の常で、それをいけない事などというつもりは無い。人も動物として生存要求があるのだから、
当然社会的動物である人間は、生存していくためにその社会の中で変容していかないといけない。
そのためには社会の趨勢に添って生きていくのが絶対的に安心な筈だ(確率論的にそれが正しいはず)。

その後の高度成長時代も、モーレツサラリーマンも、受験地獄も、バブル景気も、少子高齢化も、
その時代を生きる人たちの絶対的な多数の意見を意識無意識的に汲み取って現れた現象に他ならない。
そういう意味で、戦争がおきたバイタリティーや考え方の「根っこ」の部分は実は全く変わっていない。

ただ
まだ戦争はいけない、絶対にまた起こしてはいけない。現代日本にまだこの考え方が強いのであれば
当分は日本が戦争を起こすことはないだろうと思う。
ただ平和の名の下に、生きている緊張感を失くしている中で自分探しをせざる得ない(所謂)「軟弱」な我々は、
外から戦争という緊張を持ち込まれたときにどうすれば良いのか?と、その回答に窮している。

今は戦争が起きることよりも、国が自ら瓦解していく方を心配しないと行けないのは、いい事なのか悪いことなのか?
どんなに正しい戦争よりも、汚くても平和が良い。とよく言うが、この場合はどうすればいいのかな??

とつらつらと意味のない事を考えるのであった。

ちなみに、この手の日本の戦争映画をこの夏は既に6本程みている。
日本の特撮技術は、円谷英二に始まり、そして彼の存命中に終わってしまったのかなー、、、と勝手に感想を持ったのだった。