足立区に自転車専科っていうフレーム工房兼自転車屋があった。ここの社長が平成13年に病気で無くなった長沼氏だ。

初めて会ったのは、東京は町田の古いクリーニング店を改造した小さな工房。
彼は梶原製作所の梶原さん(フレーム作りの天才と言われて往時のエベレストとかのフレームなどを手がけるが、本人は後輩育成の方に熱心、自転車への執着が無かったようで、現在は足抜けして金型加工の会社をやってるらしい。)の手ほどきを受けて(といっても一週間で逃げ出したという上野界隈の自転車卸商の話も聞いた事有)フレーム作りを開始したようだ。

当時オーダーフレームが10万ぐらいする時代に、サンキュッパ(39800円)でオーダーロード、ランドナーのフレームを販売する(直付け工作もよりどりみどり)という、業界の価格破壊を呼ぶような販売を行っていた。
これは結構衝撃的で、結構回りでも長沼のフレームを買った奴がいたような記憶がある。

ストドロのリヤエンドをナイフのように薄く削ったり、チタン素材(柔らかい純チタンかと思ったら、6AL4Vチタン合金で戦闘機に使われている硬ったい奴だった)で試作したハブ、マグネシウムで試作した部品等など、これは後年自転車専科でアルミバイクに傾注していた氏の新素材好き、新し物好きの原点だったような気がする。

ただし、業界内では氏への毀誉褒貶は結構激しく、昔何かでしくって東京にいられなくなり暫く関西に逃げていたとか、作ったフレームのパイプが溶接から外れたとか、氏の腕前に疑問を投げかけるような話も聞いていた。
(実際 かなりトライアンドエラーで商品開発をする人だったらしく、出すオリジナル商品は初期ロットは強度が足りない造りだったり。やってみたけど無理でしたーみたいな話も聞いた事もある 例 アレックスサンジェ風のステム バー取り付けネジの強度が足りず、固定ボルトがくの字になってしまっていた、、、後に対策品を出していた)

手は早いし、思いつきで話を進めるものの、セオリー無視で話を進めるので細かいところの煮ツメが甘い商品開発だったような気はする。
(ただ、それでもキチンと最終的にはモノにしていたようなので、それはそれで人それぞれのスタイルだとも思う。)

人柄は優しいというか親切というか、商売抜きでチャッチャッとする方で、金欠の人間からすればとても助かるものの、自分で早合点してかなり速いペースで(勝手に)事を進めるタイプなのか、ちょっと困ったなー(こんなのたのんで無いけどー)と思うような事もあった。

氏のフレームは自ら売っている場合と、何処かのオーダーフレームを密かにOEMしている場合があったようで、
あの吉祥寺の今は無き東京サイクリングセンターのフレームも手がけていたという噂も聞いた(上野の自転車卸商情報)

町田から 渋谷(明治通りのマンションの半地下室 但し極一時期)そして、錦糸町の駅近く(太平とかいう場所、駅前再開発で立ち退き)そして、最後に足立区の今の場所に移ったようだ。その時に長沼製作所から自転車専科と名前を変えたらしい。(確か似たような名前の工場が近くにあったので名前を変えたと聞いた。)

亡くなってから数年は自転車専科のHPも存在したが、今はもう無い。自分は会わなくなって数十年近く経つし、亡くなった事も知らず、知ったときには没後数年経ってからだった。
興味本位でネットを見れば、やはり鬼才、奇才、変わり者といった表現が目立つ(人柄的には良いという評判も変わらず)人物評で、作るバイクも、センカの顧客は熱烈に支持するが、回りの反応はちょっと冷ややかという
町田時代から変わらない、ある意味骨のある、また味のある人柄と自転車作りをする人だったようだ。

数年前、最初で最後の足立のお店を尋ね、奥様とちょっと話をしたが、錦糸町時代に奥さんがオブっていた当の赤ちゃんも今は30代に近い女性の筈で、時の経つ速さを感じさせる。

最近ネットで長沼氏に対しての表現が少なくなり、また自分の記憶も遠く消えていくような気がしているので思い出として今回書き留めておく。

そうそう、彼がフロントディレイラーをロッド式に改造できるってんで、新品のカンパレコードのFDを預けっぱなしにしてたんだが、結局そのままになってしまった。まっもう時効の話だ。
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※ この千鳥 よくエスペランザ製とHPに載っているが、自分の知る限り長沼製のはずだ。
少なくとも自分の持っているのはそう。←町田の工房でアゲルヨと言われてもらってきたので間違い無いと思う。
華奢で軽く作りこみが甘いのが特徴?(なーんてのかな、アルミ棒を旋盤で削って、ローレット打って、割りいれて出来上がりみたいな、、、)。仕上げは同時代のエスペランザ千鳥の方がかなり上だと思う。