
亡父は戦争から帰って来た死にぞこないだ。
で帰った来てからの父は今後の人生を考え、イデオロギーに左右されづらい無頼に生きられるような仕事を選んだのだった。
元々父は一匹狼的ではあったが、周りには自然と同類な人々が集まってきていた。
戦争で晩婚になり、尚且つ年いってから生まれた自分は、
そんな人たちとの、夜毎どんちゃん騒ぎを見聞きしながら育った。
彼らは酔っ払って、世の中のあらゆる表と裏の話を、それこそ表裏一体のごとく、ごく普通に話していた。
「関係者も困ってんだよなー、あのバカ息子」という表現をしながら、ごく普通に語っているその大人たちを見ながら、フーンそうなんだと聞きながらも、なぜかこんな話が当時マスコミで取り上げられている事もなく、そんな噂話も出ていなかった事を不思議に思いながら、子供の自分は自分なりに
「ああ、世の中の人はこういう事を知っていても、お祝い事だからと大人の対応をしているんだなー。。。
ここに居る人たちは大人げないなーーー。」
などと勝手に思っていたのだった。
どうもそうではないと思ったのは、それからちょっとして友達同士で飲んでいた(そんな年では無かったんだが、、)
時、なんかの拍子でその話をうっかりした自分に、
えらい剣幕でその友達が怒り出し、中には嫌悪感アリアリで、自分の事を小突く奴までいた事だった。
「えっ、、これってみんな知ってて、でも大人の対応してたんじゃないの??」
「俺は知ってるよ」では無く、 何かの話の引用でそれを既知の出来事として話していた自分は逆に面食らった。
そっかーー世の中って、色々知らされない世界があるんだなー。
「真実は藪の中かーー」
と、妙に感動した自分を覚えている。
それから幾年月。
ネットの普及で、それこそ一億総マスコミ化状態になっている。誰がどこにいる。こんな事件が今起こっている!という速報的な情報までも携帯やネット上に氾濫している。
以前の話だって、今ネットでググって、ものの三秒で探した情報だ。
しかし、今、そのことでは逆に誰も騒がない。
真実とガセの情報が、ネット上で一緒くた、同列に並べられている為に、
それを読む人は真偽を測れず、噂話以上の話にならないのが現状のようだ。
今や「真実はガセの中」の状態になっている。
結果的に、あまり現状は変わっていないのかも知れない。と思うのだった。