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外国に行くと 外人は親切だとよく言う。

町でちょっと困っていると 他人が「どうしました。道ですか」
店の入り口がわからないと 知らない人が「入り口はこっちだよ」
駅でベビーカー連れの人が階段手前にいれば、やっぱ他人がそのまま一緒に持って上がってくれる。

知り合いはそれに感動して
「うんっ 個人主義がしっかりしているからみな相手の立場を尊重してるんだ」と言っていたけどホントかな?

外人とトラブルと、彼らは絶対スミマセンとは言わない。どんなに自分が不利でも、まず謝らない。
謝ると、自分の非を認めることになるからだ。

そこには他人と自分の間で、明確な線引き(断絶とも言うのかな)がされているのを感じる。

「まあまあそんな事言わんと仲よー、、」という日本的感覚ではなくて。
唯一の味方である自分の存在と 敵である他者の存在って言うのかな?
(敵か味方か白か黒かっていう単純な割り切り)

それは自分の周囲の中で、互いに顔色を見ながら社会を作ってきた日本人と、
神との契約で自分の存在を定義している個人主義の西洋人の違い。
及び、隣国と地続きか既に多民族国家になっていて、思想も人種も違う者同士が共存していく為の知恵なんだと思う。

だから、他者に自分は「敵意は無いよ」という事で ことさらニコヤカに話しかけるし
表面的なマナーを重んじる。

日本人は(大きくは)単一民族でずーっとやってきた。同じ思想、人種の中で意味も無くヘラヘラしていたら、バカにされるのがおちだろな。
またアウンの呼吸というのが実際に存在するのもこの傾向に拍車をかけていると思う。

握手がもともと、「お互い武器を持っていないよ」という事の証明の為に利き手同士を互いに掴むという意味だった国と日本では所詮立ち位置が違うんだろーなと思う。
小手先のテクニックじゃどうしようもないデカイ溝が有るわけだ。※

まっ何が言いたいのかさっぱり解んないが、
日本が一番っていう
自分は日本人なんだから当たり前の結論なるわけです。

※ そういえば、
「お辞儀」も相手にたいして「うしろの首をさらす」事で隙を与えて敵意が無い事の証明である。だったような確か、、

となると、
西洋の握手は、 敵意が無い事をお互いの 手をつかむ事で、相互に納得する契約行為で、

日本のお辞儀は、一方的に相手に対して、敵意が無い事を示す承認行為なのかなーーー。