行間は読むものであって、読ませるものではありません。

「行間を読む」とは「文章に直接表現されていない、書き手の真意をくみとること」です。

「行間を読ませる」というのは、読む人に「負担を強いる」こと。つまり、不親切な文章です(小説などで、あえて行間を読ませようとするケースを除く)。

<例文>
山口さん、明日、営業会議があるので、それまでに配布資料の印刷をよろしくお願いします。

↑上司からこのようなメールが送られてきたとします。

「配布資料を印刷してほしい」というお願いは分かりました。

しかし、いったい何部印刷すればいいのでしょうか?

そもそも、営業会議は何時から始まるのでしょうか?

部下の頭にそうしたクエスチョンマークが浮ぶようなら、上司が書いたメールは行間を読ませる悪文です。

もちろん、自分が読む側であれば、多かれ少なかれ「行間を読む力」は必要でしょう。

「行間を読む力」は<察する力>、もっと言えば、<人や物事を観察・分析する力>です。

ないよりは、あったほうがいいでしょう。

とはいえ、文章を書く側が、読む人の「行間を読む力」に甘えてはいけません。

真意が伝わらなかった責任を読む人になすりつけてはいけません。

伝わらなかったのは、読む人が「行間を読まなかったから」ではなく、書く人が「行間を読ませる文章を書いたから」です。

<例文の修正>
山口さん、明日(9日)、10時からA会議室で営業会議があります。参加者は10名です。会議の時間までに、◯◯プロジェクトの企画書を人数分、印刷しておいてください。

↑これくらい具体的な文面であれば、部下が行間を読む必要はありません。

あなたの文章は、読む人に行間を読ませていませんか?