何かメッセージを伝える際、「強い言葉」を使いすぎると、読む人に共感されにくくなることがあります。

<例文1>
今日もまたお店の前に、すさまじい量のタバコがポイ捨てしてあった! まったくどこのアホだ!!! 毎晩毎晩、人の店の前でたむろしやがって! 大学生か? それとも高校生か? チキショー、本当にむかつくわ。見つけたらタダじゃおかねえ!!!

<例文2>
今日もまたお店の前に、数本のタバコがポイ捨てされていた。見慣れた光景を眺めながら、思わずため息をつく。それでも気を取り直して、いつも通りの手順で掃除をした。こんなに虚しい日課は、一日も早くやめたいのだが…。

↑<例文1>と<例文2>は、同じ出来事について書いています。

<例文1>は「怒り心頭」な気持ちをストレートに書きなぐったもの。書き手の「怒り」がリアルに伝わってきます。

ところが、少し共感しにくくありませんか? 共感するというよりは、怒り狂う書き手に対して、「まあまあ、気持ちは分かったから少しクールダウンしませんか?」となだめたくなってしまう。そんなことはありませんか?

一方、<例文2>は、感情をぶちまけるのではなく、事実を淡々と記した“だけの”文章です。でも、不思議と書き手の気持ちに共感してしまわないでしょうか? 

読み終えた人のなかには、「人の店の前で毎晩タバコをポイ捨てするなんて、まったくひどいやつがいたもんだ!」と怒りを覚える方もいるかもしれません。

私が思うに、文章として成功しているのは、<例文2>だと思います。

なぜなら、読む人に「怒り」を追体験させているからです。書き手の「怒り」が自分の感情のように思えてしまう。そんな種類の文章です。

一方、<例文1>は、書き手の怒りは伝わるけど、一つひとつの「言葉」があまりに強すぎるため、
近寄るのがためらわれてしまいます。

少し離れた位置から、書き手の「怒り」を客観的に眺めてしまう。そんな種類の文章です。

少し言い方を換えましょう。

<例文1>と<例文2>の大きな違いは以下の点です。

例文1→読む人の心に届く前に
    言葉自体が爆発(暴発)している。

    
例文2→読む人の心に忍び込み、
    読む人の感情を爆発させている。


もちろん、素直に気持ちを語ることは大切です。

ですが、あまりに「強い言葉」を選ぶことで、読む人の共感が得られないとしたら、それは、本末転倒ではないでしょうか。

伝えたいメッセージがあるときほど文章に抑制を利かせる必要があります。

感情任せにメッセージを放つのではなく、読む人の心のなかでメッセージの花が開くような書き方をする必要があります。

本当に怒っているときに、文章が怒ってはいけません。

本当に哀しいときに、文章が哀しがってはいけません。

読む人を笑わせたいときに、文章が笑ってはいけません。

そういうときこそ、シンプルで控えめな言葉を選ぶ必要があるのです。

感情任せに書きなぐるのが、いい文章なのではありません。