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Q:自分の主張を書くときに、つい熱がこもりすぎてしまいます。熱をやわらげるいい方法はありませんか?
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文章というのは感情表現(自己表現)でもあるので、ときには熱っぽく主義主張を書くことも大事だと思います。
ただし、いくら書き手の主張が正しくても、あまりに文章がいきみすぎていると(アツすぎると)、読者が引いてしまう可能性があります。
あなたが、自分のファンにだけ届けばいいと思っているのであれば、それでも構わないとは思いますが……。
しかし、もし自分のファン以外、つまり、不特定多数の読者に読んでもらいたいのであれば、10%でも20%でもいいので、主張のなかに「冷静さ」を挟むようにしましょう。
自分の主張を書くときに、私がよく使う言葉があります。
「もちろん」と「たしかに」です。
このふたつの言葉は、いわばオーバーヒートする自分にかける「水」のようなものです。
水をかけると熱が少し冷めます。
つまり、これが「冷静さ」です。
この「冷静さ」があると、主張が弱くなる……のではなく、より主張が際立ち、説得力が増すようになります。
具体例を挙げましょう。
たとえば、大の嫌煙家で、喫煙者に文句を言いたい方がいるとします。
「副流煙を吸わされる身にもなってほしい!」
「歩きタバコの火で火傷しそうになった!」
「健康によくないことが分かっているのに、なぜタバコを吸うの?」
「タバコを毎日買っているクセに『お小遣いが少ない』とグチるのはおかしい!」
というようなことを。
どうぞ書いてください(笑)(←言いたいことを言わないのはカラダにも毒ですので)
ただし、自分の主張を書くときに、次のような「冷静な」一文を挟んでみてはいかがでしょうか?
「もちろん、喫煙するしないは個人の自由だとは思います」
「たしかに、マナーをわきまえた喫煙者がいることは理解しています」
「もちろん、なかには『喫煙=最良のストレス解消法』という方もいるでしょう」
「たしかに、禁煙の難しさは、私も重々承知しています」
端的に言うなら、「もちろん」や「たしかに」は、自分の主張を快く思わないであろう方への「譲歩」です。
上記の例でいうなら、喫煙者に対して「あなた方の立場・気持ちも分かっていますよ」と「譲歩」しているわけです。
不思議なもので、こうした「譲歩」を挟むことで、書き手の主張が読者に受け入れやすくなります。
なぜならば「譲歩」の文章は、書き手の視野の広さを感じさせるからです。
<相手の立場も理解したうえで、自分の主張をしている>という気配が感じられたとき、読者は、この人の主張は聞くに値するかも……と判断します。
最後にヘタな主張と上手な主張を見比べてみましょう。
<ヘタな主張>
喫煙者は、タバコが健康を健康によくないことを知っていながら、どうして禁煙をしないのでしょう。
タバコが原因で肺がんにでもなったら、家族は嘆き悲しみます。
本人にその自覚はあるのでしょうか?
<上手な主張>
喫煙者は、タバコが健康を健康によくないことを知っていながら、どうして禁煙をしないのでしょう。
もちろん、禁煙の難しさは、私も重々承知しているつもりです。
私の友人にも、何回禁煙にチャレンジしても、途中で挫折してしまう人がいますので……。
しかし、タバコが原因で肺がんにでもなったら、家族は嘆き悲しみます。
本人にその自覚はあるのでしょうか?
いかがでしょう?
「もちろん」という「譲歩」で始まる文章を挟むことで、周りが見えていない「子供の主張」から、視野の広い「大人の主張」になったかと思います。
文章構成上も、「もちろん<譲歩>→しかし~<主張>」「たしかに<譲歩>→しかし~<主張>」という流れは、理路整然としていて読みやすいです。
主張がいきみすぎる(アツすぎる)という自覚症状がある皆さん、「もちろん」や「たしかに」を使ってみませんか?