執筆、プロフィール作りのプロ! 感動フリーライター -東京島

「東京島」
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簡単に筋を説明すると、無人島に漂着した22人の男と1人の女。さてこのあとどうなるでしょう? という映画である。「22人VS.1人」という確信犯的な設定からも察しがつく通り、ドラマのキーマンは、紅一点の主人公、清子(木村多江)である。もし桐野夏生の原作を未読の方であれば、鑑賞前に、彼女がこの過酷な状況下でどのように生き抜くのか、予測してみるといいかもしれない(ただしその場合、この批評は読まないほうが賢明です)。

夫婦水入らずの船旅の途中で事故に遭い、無人島に流された主婦、清子(木村多江)。ぼう然自失の生活を送る夫に愛想を尽かした彼女は、頼れる者は「自分以外にいない」と気づく。やがて島には若いフリーター男子16人、さらには密航に失敗した中国人6人も流れ着き、無人島はにわかに活気づく……。

無人島から抜け出すには自分の「女」が武器になると気づいた清子は、少しずつ狡猾(こうかつ)な本性を見せ始める。「したたか」というよりは「あざとさ」ばかりが目に付く彼女の振る舞いだが、ある事実が発覚するまで、おしなべて不感症な島の同居人たち(フリーター連中)が、その本性に気づくことはない。洞察力の鋭い孤高の異端児ワタナベ(窪塚洋介)を除いては。

ヒロインにフェロモン微量な木村多江(もちろん、すっぴん)を起用したのは、色気をエサにした逆ハーレム映画ではなく、力強いアラフォー女の生命力を描きたかったからなのだろう。一方、“盛り”の年齢にある野郎どもの体たらくぶりときたらどうだ。本来、無人島で紅一点とあらば、いくら色気のない40女とはいえ、男たちにとっては格好の獲物(求愛対象)ではないだろうか。ところが、本能まかせに秩序を破るワイルドマンはひとりとして現れない。これが今どきの草食系男子の実態だとしたら、いよいよ本気で日本の将来を案じなければなるまい。

映画は、男たちの生命力の乏しさを棚上げする一方で、彼らが形成するコミュニティ内のパワーバランスを描くことに必死だ。しかしながら、パワーバランスを描くに必要な各人の心理・心情が掘り下げられていないため、ドラマが表層の域を出ることはない。おまけに、日本人グループと中国人グループの対立構図も中途半端極まりない。唯一、特異な存在感を放つワタナベ(窪塚洋介)でさえ、エキセントリックな言葉と行動で観客の目を引く程度で、中だるみの激しいドラマを動かすカンフル剤にはならない。

そもそも本作「東京島」は、肝心なディテール描写を割愛しすぎだろう。序盤から家は建っているし、火もおこせているし、最低限の水や食料も確保できている。空腹とはいえ、生命が脅かされ、精神が病むような描写もない。そうなると当然、テーマとなるべき人間本来の「生命力」や「本能」に切れ込むことは不可能に。厳しい見方をすれば、無人島が備える「極限状態」というアドバンテージをどぶに捨てたような作品である。こうなると映画の魅力を見つけることさえひと苦労。129分の長丁場が、この苦労を苦痛に変えていったことは言うまでもない。


※山口拓朗は、新作映画の批評を映画批評サイト「映画ジャッジ!」に不定期で寄稿しています。

映画ジャッジ!
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