先週、
突然の知らせを受けて
地元へ帰省しました。
帰省した日は
確かにまだ暑かったのに
東京へ戻ってきたら
秋の風。
突然去っていった夏と
ついにやってきてしまった
大切な人とのお別れに
さみしさを感じています。
***
大好きな母が
亡くなりました。
71歳でした。
私の母は
50代前半で
若年性認知症を
発症しました。
発症後の数年は、
あまりにも想定外の現実に
戸惑いながらも
でも
戸惑っている
暇なんかなくて
急スピードで
どんどんいろんなことが
わからなくなっていく母に
いったい
何をしてあげたらいいのか
あちこちの病院をまわり
介護サービスや施設を調べまくり
毎日が
心配で
いっぱいだったことを
思い出します。
してはいけないことを
次々にしてしまう母。
ちょっと目を離すと
いなくなってしまう母。
私は基本、東京に住んでいたので
心配することしかできない日々も
多かったのだけど
近くにいた家族は
どんなにか大変な毎日だっただろうと
思います。
だけど
そんな日々も長くは続かず、
施設にお世話になりながらも
母の病状はどんどん進行し、
ここ10年くらいは
寝たきりの日々を過ごしていました。
長い長い日々でした。
ずっとお世話をしてくれた家族にも
家族を支えてくださっていた方々にも
感謝しかありません。
***
ツルツルのお肌で
まるで眠っているかのような
母の顔を見ながら
「本当に本当に
長い間
よくがんばったね。
今までありがとう」
と声をかけました。
私たち家族と
いつも助けてくれていた親戚、
そして
母の学生時代の友人。
母のことを
大好きな人たち
ほんの数人での
小さくて
あたたかな
お見送り。
母の思い出を
話してくれる人は
いつも
「あなたのお母さんは
いつも人のために
一生懸命に
たくさんのことを
してくれる人だった。
とてもパワフルで
大胆で自由な人だった」
そんなふうに
教えてくれます。
母の大胆エピソードを
聞くたびに、
「母らしいなあ」と
笑ってしまいます。
(泣いてもしまうんだけど)
そんな自由な母が
10年以上も
不自由な体で
ベッドの上にいたわけですから
どんなにか
窮屈だったことでしょう。
やっと
動けるよ。
自由に飛び回ってね。
お母さん。
****
母が亡くなって
はや1週間が
経ちました。
寝たきりで
動けなくても
しゃべれなくても
母が生きていてくれることは
大きな支えだったんだなあと
感じています。
悲しいなあ。
さみしいなあ。
って
気づいたら
ぼんやりと
涙ぐんでいたりして。
でも、同時に
すごく近くに
母を感じるような時もあって
とっても不思議。
母は
かわいく笑う人
でした。
明るくて
強くて
たくましい母に
いつも助けられました。
私の心の中が
怖さでいっぱいになって
外に出られず
部屋のカーテンも
あけられなくなっていたとき、
東京で一人暮らし手をしている
私の部屋に
母が四国から
軽やかにやってきて
バサッとカーテンを
あけてくれたこと。
あなたの怖さがわからなくて
ごめんね
と
わかろうとしてくれたこと。
そんなことを思い出して
あの頃の明るくてパワフルな母が
かわいい顔で笑いながら
近くで見守ってくれているような
そんな気もするんですよね。
大好きな
お母さん、
ありがとう。
おわり
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