こないだの満月の日に

美しい月を見ました。
 
 
直接、空を見上げたわけでは
ありません。
 
 
どなたかが
facebookにあげてくれたものを見て
美しいなあと
眺めました。
 
 
その月の美しさに
あぶり出されるように
 
私の中に
ずっとずっと前からあったけれど
 
見ないふりをしていた
小さな迷いが
 
浮き彫りになりました。
 
 
見ないようにしてきたものを
真正面に見てしまい、
 
しんどいしんどい
満月の夜でした。
 
 
 
“ひらく”を伝える。
卒病カウンセラーの
うさこ、こと、古庄由佳です。
 
 
 
 
その時に見たのは、
ここ数日、数週間のうちに
生まれてきた迷いではなく、
 
おそらく
数ヶ月も、もしかしたら
数年も
 
あるのに
見ないふりをしていたものだったのでは、
と思います。
 
 
 
 
「好き」の気持ちは
ずっとずっと
続いていくものだと
思っていました。
 
 
 
「好き」を大切にしていれば
ずっとずっと
満たされているものだと
思っていました。
 
 
 
でも。
 
 
 
私の中にある
「好き」は
満ち満ちたのだと
わかりました。
 
 
 
「好き」に
少しずつ満たされて
「好き」は
私の中でどんどん大きくなり
満ち満ちた。
 
 
 
満月の夜に
とん、
という音がして
 
 
もうこれ以上は
進めないよ、
と言われた気がしました。
 
 
 
 
 
 
翌朝、
 
「好き」を手放そう、
と思いました。
 
 
口に出したら、
想像以上に
スッキリして
体が軽くなりました。
 
 
 
私の「好き」は
満ち満ちて
これ以上は
膨らめないところまで
きていました。
 
 
手放すのが
怖くて
それに気づかないふりを
していたのだと
わかりました。
 
 
 
「好き」の
向こう側に
透けて見えるものが
あることにも
 
気づいていました。
 
 
 
 
でも
 
 
そのトビラをひらくことは
 
私にとって
途方もなく
怖いことなので
 
認めたくありませんでした。
 
 
 
 

 
 
この言葉をみたときに
感情があふれました。
 
 
その感情に触れた時、
「降参しよう」と
思いました。
 
 
 
怖くて怖くて
見たくない。
 
 
 
この気持ちが
次のトビラをひらく
カギだったとは。
 
 
 
 
満ち満ちた「好き」を
少しずつ手放して
 
 
新しい「好き」に
出会っていこう。
 
 
 
 
満ち満ちて
 
手放し
 
また新しいもので
満たしていく。
 
 
 
そんな
愛し方も
あるんだな。
 
 
私は
そんな
愛し方を
していく人なんだろうな。
 
 
今までも
これからも。
 
 
 
 
 
 
おわりうさぎ
 
 
 
 
写真の文章は
先日読んだ
こちらの1ページより
お借りしました。