自分のこれまでのことを書くのは
ちょっとパワーがいるみたいで、
少し時間があいてしまいました。

さて、続き、いきます。

<↓前回までの記事>
●私が「“ひらく”を伝えたい」と思った理由1<病気を隠してきた私>
●私が「“ひらく”を伝えたい」と思った理由2<がんばればがんばるほどしんどくなっていく>
●私が「“ひらく”を伝えたい」と思った理由3<白杖への抵抗>

***

白杖を持つことで
自分の「できない」を受け入れていこう。
まわりの人にもちゃんと知ってもらおう。

そう思って

まずは、一人の時だけとか、
私の病気のことを知ってくれている
友人の前でだけとか、
時と場合を限定しながら白杖を使い始めました。

すると、びっくりするくらい
白杖を持って歩くと“こころがラク!”
ということがわかりました。

今までは、見えなくてミスをすることに
いつもいつもおびえながら歩いていたけど

白杖を持っていると
まわりの人がよけてくれるので
おびえなくていい。

間違ってぶつかってしまっても
だいたいの人は白杖を見て事情を理解してくれるので
怒られなくてすむ。

本当に気持ちがラクでした。

ただ…

そうは言っても…

すぐに誰の前でもオープンに
白杖を使えるようになったわけでは
ありませんでした。

病気のことをあまり知らせていない
知り合いや友人の前では
なかなか使うことができませんでした。

目が不自由な人だと知られることに
とってもとっても抵抗を感じていたのです。

どうして
ありのままの私を見せて生きることに
そんなに抵抗を感じてしまうのか。


それはやっぱり

“人に負けたくない”

という気持ちがあったからだと思います。


病気のことが知られると、
私は「できない人」になる。
まわりに「助けられる人」になる。
「かわいそうな人」だと思われる。

それが、なんというか、
とっても悔しかった。

「ミスしてもいいよ」って言ってもらえると
すごくラクなことを実感する一方で、

人に助けてもらうたびに見下されたような気がして
心がチクッとしてしまう。

そんな葛藤が続いていました。


でも、今振り返ってみれば、

そう思っていた私こそが、

助けてもらう人、できない人を
見下していたんだなーーと

ありのままの私を
私自身が一番見下していたから
私自身が一番かわいそうだと思っていたから
それをオープンにすることが恥ずかしかったんだなと

そう思います。


私はどうして、

人との優劣をこんなに気にしてしまうのか

いったいどうしたら

そんな自分を変えることができるのか

それを知りたくて
こころの勉強をしたいと思ったのかもしれません。

心屋塾マスターコースに通い始めたのは
ちょうどそんな時でした。


つづくうさぎ 


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