もう10年以上前のことです。

「これから私はどんどん目が見えなくなってしまうんだ」と思うと
不安で不安でしかたなくなってしまったことがありました。

家にいても、外に出ても
涙が出てきてしまう。

テレビを見ては、
普通に走ったり、車に乗ったりしているドラマの登場人物を見て
私にはその“普通”がもう叶わないんだ、と
いちいち落ち込んでしまう。

商店街を歩いても、パソコンの画面を見ても、
つい自分の目から見える世界が以前よりも狭くなったことを確認して、
自分が世界で一番不幸な人間のように感じてしまう。

そんな日々が続きました。

当時は、自分が網膜色素変性症という病気であることを
告げることがどうしてもできないまま、会社勤めをしていました。

仕事をして人と関われば、
小さなミスを繰り返したり、
人に迷惑をかけたりして、
まわりの人に病気がバレてしまうんじゃないか、
バレたら好きな仕事を続けられなってしまうんじゃないか、
同僚からうとましく思われてしまうんじゃないか、

そんな不安から、大好きだった働くことさえ
怖くなってしまいました。

毎朝電車に乗って出勤をするのですが、
どうしても会社のドアをあけることができなくて
泣きながら家へと引き返してしまう。

そんな情けない状態の中、
それでもなんとかしてこの状況を抜け出さなくては…と、
病院にいきました。

当時の私の主治医は、
網膜色素変性症の患者とも多く接している
専門知識の豊富な眼科医でした。

底抜けに明るい性格の先生で
いつも拍子抜けしてしまうのですが、
その時も、

泣きながら
「前よりも視野が狭くなった気がするんです。
ぜんぜん見えないんです」
と訴える私に

「大丈夫!視野が狭くても、中心はよく見えているんだから
たくさんキョロキョロすればいいんだよーー」

と、いとも簡単なことのように
明るくおっしゃいました。

正直、その瞬間は腹立たしかったです。
「この先生はわかってくれない」と思いました。

その帰り道だったのか、
また別の日だったのか、
すっかり忘れてしまったのですが、

ある時、電車に乗りながら、
気持ちがあふれてきました。

「もうこんな想いをするのはイヤ。
いつ目が見えなくなってしまうんだろうと心配したり、
これから何ができなくなってしまうんだろうと恐怖したり、
こんなにビクビクして毎日を過ごすくらいなら、
いっそ今すぐ目が見えなくなってしまえばいいのに!

と、ほんの一瞬だけど、本当にそんなことを思ってしまい、

そのままあふれる涙を抑えるように
しばらく目を閉じました。

そして、再び目をあけた時、

目の前に、

力強く、真っ青に澄んだ空が広がっていました。


それは
「こんなにきれいな空は今まで見たことがなかったかもしれない」
というくらいに美しくて、

「これが見えて良かった」

と心の底から思いました。
新しい涙が、次から次へとあふれてきました。


私にとって、それは
「キョロキョロしたら見える」という
今ある現実に感謝した瞬間だったんだと思います。

「少しでも見えるんだから、見えないよりはいいじゃん」
という意味では、決してなく。

それまでは
「できないこと」
「これからできなくなること」ばかりを見て
悲しくなってばかりいたけれど、

そうではなくて、
「できることもたくさんある」
「どんな状況でも幸せを感じることができる」
ということを体感した瞬間。

「ない」ことばかりに注目していた時には
見えなかったありのままの現実が、
初めて見えた瞬間だったのかもしれません。

あれは、確か夏でした。
今年も真っ青に力強く澄んだ空を見て
あの日の気持ちを思い出すんだろうな。

私が一生忘れたくない、空の色です。





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