私は、長い間、
自分の視覚障害のことを
あまり人に伝えずに生きてきました。

同病の方には話すけれど、

お仕事関係の方々、
プライベートを一緒に過ごすお友達、
小・中・高時代の旧友

などには、
極力この話をしなくてもすむように
生活してきました。

今は、時々白杖を持って歩きますが、
会社員時代は、どうしてもムリでした。

目が見えない私は、
「人に頼りにされない」
「好きな仕事をさせてもらえない」
「人に面倒がられる」

そんなふうに思っていたし、

「人に負けたくない」
「人と違うと思われたくない」

という気持ちもありました。



見えづらいと、小さな失敗をしがち、です。

失敗しないように、
いつも細心の注意をはらいながら
生活をしていました。

人にぶつからないように。
モノを落とさないように。
転ばないように。
人と同じでいられるように。


楽しい飲み会も、本当はちょっと苦手でした。

暗いお店で、
席の配置がよく見えなかったらどうしよう?
トイレの場所がわからなかったらどうしよう?
グラスを倒してしまったらどうしよう?
料理の取り分けができなかったらどうしよう?
前の人のグラスがあいてても、
気づけなかったらどうしよう?


あはははーー。

どれもささいなことばかり。
笑ってしまうような、
とるに足らないことばかり。


「うさこって気がきかないよねーー」

と言われる度に、グサッときていましたが、

「ごめんねーーー」

と笑ってごまかしてきました。


最近は、少しずつオープンにできるように
なってきました。

いつもじゃないけど
白杖を持って歩けるようになってきたし、
「ちょっとつかまってもいい?」って
お願いできるようになってきたし、

だいぶ楽になってきたなーーと思っています。


でも、やっぱり今でも

急に飲みに誘われたりすると、
一瞬、逃げたくなります。

なんでだろうな、
人と一緒にいたほうが楽しいのにな、

と思っていたけど、


バレたくないがために
本当のことを言わないでごまかしてきた
過去のささいな出来事たちが

「また同じことが起きるよー
傷つくところには行きたくないよーー」

とサインを送ってきてたんだなぁって
気づきました。

あんなのは全部ささいなことだと思って、
自分はもう大丈夫、と思ってきたけど、

実は、ちゃんとこっち見てよーーと
サインを送ってきていたみたいです。


***

先日、オープンカウンセリングという場所で
そんなことに気づかせていただきました。

こんな相談をするつもりじゃなかったんですが、
気づいたら、そんな話をしていました。

みんなと同じ悩みじゃなくて
申し訳ないなーーと思いながら。

(“悩み”まで、
みんなと同じでいたかったんです、私)


「私は私のままでいい」

その時にカウンセラーのアッコさん
いただいた言葉です。

アッコさんのやさしい声や
その時聞いてくださっていた皆さんのあったかさが

「私のままでいいんだなぁ」

と素直に思わせてくれた気がします。

ありがとうございました。


それと。

無視してきた私の中の小さな私たち。
今まで、無視して、ごめんね。



おわりうさぎ


ペタしてね