子供の頃、

京都に住む祖父母の家に遊びに行くことは、


非日常でとても楽しいものでした。



古いアルバムには、方々からせしめた沢山のお年玉袋を抱え、満面の笑みで写るチョキ爆笑チョキおてんばコメ子の懐かしい写真も多々あり、、ダーさんに見つけられてはキョロキョロ大笑いされています。



コメ子の祖父は大正生まれですが、ファッションにとても興味があったようで、令和の今見ても、写真の中の祖父は驚くほどお洒落で。
そういえば家にはコートやスーツ、靴などがたくさん並んでいた記憶があります。


どの写真を見てもキョロキョロ、親族の欲目を外しても、若かりし頃は、かなりイケメンの部類だったのでは。。と思われる祖父。

祖母の話によると、祖父は昔、テニスの全日本選手権でランキング上位に入る選手だったようで、当時とてもモテたらしいです。


キョロキョロ

これは、もしや祖母の自慢?か爆笑




そんな祖父に、コメ子はかなり可愛がってもらっていました。

コーヒーを人生で初めて飲ませてもらったのも、祖父が行きつけだったイノダコーヒ本店だったし、


賢い子に育つようにと願いを込めて、京銘菓の阿闍梨餅や、


キラキラ光る宝石のような、緑寿庵清水の金平糖をいつも用意してくれたのも、


祖父が美味しそうに飲んでいたオロナミンCをお猪口に注いでもらい、日本酒を楽しむ大人に混じって、おとな気分を味合わせてくれたのも、

祖父でした。

まるで、おままごとのおもちゃに見えたキョロキョロ小さなお猪口。注いだり注がれたり、それはそれは楽しそうに見えたお酌の様子。

祖父の計らいで、年長者にジュースやら、サイダーやらをお猪口に注がせまくり、お酒ではなく、おとな気分にすっかり酔いしれていました。


コメ子がまだお金の価値がわからない幼い頃、祖父からよく質問されたことがあります。


「これとこれ、どっちが好き?」

目の前に出されたのは、千円札と一万円札。

2枚のお札を子供ながらにじっくり吟味した結果、コメ子は決まって千円札を指差していたようで。。

祖父の大笑いする声が家中に響いていたのを、鮮明に覚えています。


それから、時が経ち、お金の価値が理解できるようになっても、

同じ質問をされたコメ子は、祖父に笑ってもらいたい一心で、事情を知らない親族に本気で心配されそうになっても、ひたすら千円札を指差していました。


もしや、今より大人かも?キョロキョロ




そんな祖父の一番のコレクションは、帽子でした。

二階にある祖父の書斎。
天井ギリギリまで隙間なく本が並ぶ、大きな本棚の反対側には、見上げると、いつもたくさんの帽子が並んでいました。あの時代にここまでコレクションするのは、なかなか難しかったのではないかと、今でも思います。

その帽子を見つけたコメ子は祖父をどうしても笑わせたくて、

グラグラ揺れる不安定な木製の脚立に必死によじ登り、帽子を乗せられるだけ頭に積み上げ終えたら、大声で祖父を呼びつけるという、、

そんな、迷惑過ぎる遊びを繰り返しても、イヤな顔一つせず、大笑いしながらコメ子が飽きるまで、根気よく付き合ってくれました。

祖父のその、、テニスの方ではなく、帽子好きの方の遺伝子を受け継いだのか、コメ子も気がつけば帽子が大好きになり、コレクションも年々増えるばかり。



まだ、到底祖父には敵いませんが。

人生に何か夢中になれる楽しみがあるのはいいものピンクハートと、、思うことにしていますてへぺろ


思い出の詰まった祖父母の家も、今は更地となりました。

京都に行き近くを通りかかると、一瞬で昔に戻ったような、懐かしさがこみ上げてくる特別な場所。


不思議なほど色褪せていないそのすべてが、今も大切な宝物になっています。




「祖父とコメ子の物語」シリーズでスタートします。よろしければ、お付き合いいただけると嬉しいですウインク





コメ子。



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