地震の前日、高校時代の友人(男)からFacebookの友だち申請があった。
お正月に同窓会で再会し、楽しくおしゃべりをしたMくん。
彼に会ったのは、卒業以来だった。
県庁を辞めて、今は花巻温泉で観光の仕事をしていると言う。
「よく私を見つけたなぁ~」
私はFacebookを全然使いこなせていなくて、写真すら入れていないのだが、
なぜか出身校だけは書いていた。
彼の出身地は、津波によってほぼ全域が壊滅した陸前高田市。
地震の日の朝、ブレスレットの水晶が一粒、ポロっと割れて落ちた。
なんの圧力もかけていないのに、自然に。
「こんなことってあるんだなぁ~。最近いろんな出会いもあるし、変化が大きいからかな」
と思っていた。
その1時間後、盛岡の母から電話があった。
「ゆきちゃんが、学生のときに旅行したのって、クライストチャーチだったっけ?」
何を今さら、お母さんタイミング遅いよ~と思ったが、なぜかその日気になったらしい。
大学の卒業旅行はどうしても一人旅がしたくて、自然が豊かで治安のよいニュージーランドを選んだ。
2週間はクライストチャーチでホームステイ、1週間はユースホステルなどに泊まりながら行き当たりばったりの旅を楽しんだ。
クライストチャーチは、本当に美しくて気持ちのよい街だった。
そして、午後。地震のニュース。
・・・あまりにもショックで、言葉を失った。
何をしても心ここにあらず、地に足が着かず、自分が思うように機能しない。
テレビで映し出されたのは、変わり果てた故郷の姿。
夏休みによく遊びに行った三陸の海と町。
明るく鮮やかだった風景が、どす黒い濁流に飲まれていた。
実家とは電話が全然繋がらず、パニック気味になった。
なぜか、親友にはすぐに電話が繋がった。
今思えば奇跡だったと思う。
夕方、弟と携帯メールで連絡が取れ、無事を確認できた。
その後、盛岡や東京の友人達と、何十通というメールが飛び交った。
昨日、盛岡の停電が復旧し、やっと母の元気な声を聞くことができた。
ホッとして、涙が出た。
家族みんなで電話を回して話をした。
二日ぶりに、落ち着いておいしく夕食を食べることができた。
「ママが普通にもどった」と子どもから言われ、
それまでは普通じゃなかった自分に気づいた。
家族は、目の前にいる私のことを一番心配していた。
みんな、自分の持ち場でがんばっている。
できないことよりも、できることにフォーカスして、
工夫して、たくましく生き延びている。
ここで私が焦っていてもしょうがない。
さぁ、今日から気持ちを切り替えて、仕事!
やるべきことはたくさんある。
一つひとつ集中して取り組もう。
今、私は働ける環境にいる。
しかも好きな仕事で。
働くことは、傍を楽にすること。
しっかり働いて稼いで、募金をしようっと。