愛知県の某寺に10 年ほど前 登場した石造りの観音様で、私の大のお気に入りです。
どの角度からでも鑑賞に耐えられ、美しい顔立ち、ヘアメイク、ナイス・プロポーション、見事なウェアの描写、等々 これらは白鳳時代の仏たちの特色です。
心ある人達は皆知っていますが、日本の仏像は白鳳時代が最高で、時代と共にレベルが落ちていきます。
そんな理由で、新たに作られる仏像には何も期待していなかったのですが、この観音様は例外です。
米田史学では“飛鳥→白鳳→天平”は否定され、白鳳が一番古く 倭国の時代のことです。
おもての歴史では観音像も阿弥陀像も実在の人物を投影しているとは口が裂けても言えず、正史でも全く触れられることはありません。
私は この新しい仏像を以下のように考えています。
彼女は倭の五王“武”の妻で神功王后と呼ばれ、500 年の新羅征伐の帰途、宇美で男子を出産し、その子が倭国王“倭薈”になります。
30 年後、彼は継体の軍に殺されるのですが、倭国民は後になって彼こそが阿弥陀如来であると捉えたのです。
“倭薈”は当時の仏教派・神道派 双方から慕われる八幡大菩薩というスーパースターとなり、その存在が日本国民の初詣に何の疑問も持たず自分の好みの寺院や神社に詣でる原点なのです。
このような背景を持つ彼女は阿弥陀のお母さんなのです。
仏像に実在の人物を重ねるという発想は現代日本人には無かったことですが、今後 仏像の背後にある古代史に想いを馳せては如何でしょうか。
ご利益がどうの、手のポーズがこうのと御託を並べる どんな立派な仏像の解説書も倭国の真実を隠すための小道具に過ぎません。
この観音像は歴史に想いを馳せる人達の心の友になりうる素晴らしい作品です。