みお(澪)とは浅海を通行する船が通りやすい水路のことで、くし(串)は杭、「つ」は「沖つ白波」の場合の「の」の用法である。
「水路の杭」では味も素っ気も無いが「澪標」とは優美な命名である。
歴史的には『万葉集』(巻14-3477)に「遠江引佐細江の澪標 我れを頼めてあさましものを」と詠まれていることで静岡県引佐郡(現在は浜松市北区)細江町気賀が「澪標」の発祥の地とされている。
『源氏物語』14帖の「澪標」での光源氏が明石に送る和歌とその返歌、百人一首での以下の2首
わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき
計4首に「身を尽くし」との掛詞で用いられている。
その他、沢口靖子のデビュー・テレビ・ドラマのタイトルの方を真っ先に思い浮かべる人も多いだろう。
倭国九州王朝時代、那珂川、御笠川が運ぶ土砂が近江の海を埋めて福岡市街地に変貌したわけで、当時は浚渫をし、「みをつくし」を打ち、航路が確保されていた。
「みをつくし」が風景として存在するのは博多である、と米田良三氏は述べる。
浜松周辺の人々には辛い仮説(今の所、謙遜して言わせてもらう)だが、倭国の時代であれ、大和朝廷になってからであれ、たとえあの辺りに「澪標」が打たれたとしても、日本最古はあり得ない。