いつまでたっても不毛な 邪馬台国論争 | 民営文化センター

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ニュースもフェイクなら、討論番組も似たり寄ったりだ。

 

最近、邪馬台国や法隆寺をテーマにした番組が目に付く。

 

出演者も若返り、期待するも内容は彼等の上司の時代から進展したとは思えない。

 

邪馬台国近畿説派は纏向遺跡で“決定”としたいようだが、九州説派が「米田説」を取り入れればアッという間に決着はつく。

 

真実を追究する姿勢や発想が全く違うのだ。

 

近畿説側は大和朝廷が純粋に大和起源であると高らかに宣言したい一心で、辻褄あわせの最中なのである。

                                      

 

番組の出演者の顔にそう書いてある。

                                     

 

米田良三氏から届いたFaxによると、邪馬壹国は太宰府を中心としたエリアであり、発掘された掘っ立て柱穴は卑弥呼の宮殿のものであるという。

 

邪馬壹国、倭国、さらに日本へと発展する途中 磐井の乱、壬申の乱(ともに学校で習う歴史とは異なるので注意)によりこの列島は巧みに大和朝廷に乗っ取られるのである。

 

 

吉野ヶ里は弥生時代の集落跡ではなく卑弥呼の墓を中心とした九州王朝の墓地公園であった。

 

「纏向」は佐賀県の三瀬村と富士町の間にある権現山一帯の「巻向」という地名が移動したに過ぎない。

 

このように「米田説」はSomething Newなのだ。