偶然とはいえ、ドナルド・キーン先生の死去と重なり、このイベントは盛り上がっているようです。
この新聞記事にある石山寺について、米田良三氏は
「福岡市街地の過去は近江の海であったが、現在の大橋の奥、井尻の対岸にあたる場所に三宅廃寺遺跡(図)がある。
それが日本(倭)国時代の石山寺である。
石造文化の粋である石山寺の建物と石刻像は占領唐軍が中国に運び去り、山東省などに埋納した。
古典籍などは名称とともに滋賀県の現在地に移った。」
と述べている。
このように、平安時代に改竄された作品の方がスタンダードになってしまうと、異説の方は全く立つ瀬がありません。
とは言え、定説の方が俄然有利かというと、さに非ず、学者さんたちの心中は穏やかではありません。
邪馬台国九州説の勝利は九州王朝説を認めることなので、何が何でも、この流れは食い止めねばならないのです。
最近のNHK歴史番組中、「大和政権」という表現が頻繁に飛び出すのも、こんな事情が背景にあるのです。
「邪馬台国論争」とは地域の意地の張り合いでも、古代史のほんの一部が入れ替わるレベルの話でもなく、従来の日本史が音を立てて崩れるかどうかのお話なのです。