倭国の時代に長谷寺があったとされる佐賀県神埼郡三瀬村には、初瀬川が流れ(=昔の名称がそのまま残り)、“頭隠して尻隠さず”状態に陥っているのですが、このようなことは稀です。
大和朝廷の隠ぺい工作はほぼ完ぺきで、地名移動前のエリア一帯にその痕跡は一切残さず(=ネーミングを変え)、移動後のエリアに(持ってきた地名に合致するよう環境を整え)その地名を定着させます。
万葉集に登場する雷丘(いかづちのをか)は本来、福岡/佐賀県境にある雷山のことであり、その裾を流れる嘉瀬川・神水(しおひ)川がオリジナルの飛鳥川と思われます。
古今集でも歌われる和歌と大和の周辺環境は全くマッチしないのですが、舞台を佐賀県に求めると自然です。
大和平野の真ん中に立つ雷丘、大和三山もアリバイとして人海戦術で作られたボタ山であると思います。
詳しくは米田良三 著『現代を解く・長谷寺考』126~128P参照