「地名の移動」と郷土愛 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever





観世音寺を始めとして九州に在った寺院の移築の解明から始まった米田建築史学ですが、「地名の移動」に対する反応は人によって様々のようです。



既に述べた(2月23日)糸島半島のAさんは「何だ、明石・須磨は御近所じゃないかっ」と驚き、納得されています。



一方、現在の明石・須磨あたりに住む知人は「そんなバカな」と「地名の移動」を一笑に付します。それは郷土愛のなせる業でしょうか。



奈良市のなかむら先生は米田説を認めておられるようで、公平にクールに分析されています。



是非、以下の3本のブログを読んでみて下さい。学校で習った歴史が邪魔をして、何がなんだか分からなくなると思いますが・・・ 



倭国九州王朝時代のある時期、倭薈が遷都した奈良の京(みやこ)は短期間でしたが、吉野ヶ里辺りに在ったのです。




なかむら先生のブログ 院長日記 より


阿弥陀信仰は日本人発祥

http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-974c.html

東大寺大仏は大分県宇佐の小倉山に建っていた東大寺から奈良平城京に移したものであって、もともとは阿弥陀仏であった。


最初から狂った日本の歴史

http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-348c.html

いまだに語り継がれる帝の善政のかずかずは、反乱や疫病や地震が絶えない平安京ではなく倭京で行われたもの。


太宰府を訪ねて

http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-1ac7.html
観世音寺です。後白河法皇は、観世音寺の三十三間堂を平安京に移築しました