猪木がラッドに薄氷防衛~世紀の対決!ストロング小林戦直後に地球半周~ | プロレス表舞台の放浪記

プロレス表舞台の放浪記

一プロレス・ファンから、電子書籍『プロレス表舞台』を立ち上げた斉藤雅治が、プロレスと関わった日々を想いのまま、書き綴る。

 米専門誌「ザ・レスラー」1974年9月号にて、猪木 vs. アーニー・ラッド(クリーブランド)のNWF世界ヘビー級選手権が4ページに渡り紹介。

写真右ページには、ラッドが、NWF世界王座のベルトを掲げ、勝ち誇った写真を使用。

 

 今から44年前の3月21日(現地時間)猪木はオハイオ州クリーブランドにて、アーニー・ラッドの挑戦を受け、NWF世界ヘビー級王座の防衛戦を行った。

 

 折しも、日本中を興奮の渦に巻き込んだ、ストロング小林との初対決(昭和49年3月19日、東京・蔵前国技館)の直後の事である。

 

 小林戦の4日前には、アンドレ・ザ・ジャイアントとのシングル初対決で、足を負傷。追い打ちをかけるように小林との骨身を削る大死闘を終えた猪木は正に、満身創痍の状態でラッドとの一戦に挑んだ。

 

 この試合の内容が、当時、米専門誌「ザ・レスラー」(1974年9月号)で「Halfway around the world to defend a title!」(地球を半周してタイトル防衛!)と題して掲載されているので紹介します。

 

 以下、翻訳======
地球を半周して、タイトル戦を行う、確かに稀な男だ。


アントニオ猪木とは、正に、そんな男だ。

そして、オハイオのファン達は、彼の行動に感謝していることを知らせた。

これまででも、本当に素晴らしい旅だった。

 街より名誉を讃えた鍵が渡され、彼の紹介に、賞賛の拍手が続き、クリーブランド・アリーナの天井を揺らした。

 しかし、アントニオ猪木が、NWF北米王者のアーニー・ラッドに破れ、NWF世界ヘビー級王座の防衛に失敗すれば、これらの記念も彼の口の中で灰のようになっただろう。

 猪木は試合前にジョニー・パワーズと会って、ラッドをを倒す方法について話し合っていた。

猪木はパワーズを、タイトルマッチで破ったことがあるのだが・・・

 パワーズは、以前の仇敵への屈辱にしか興味ないが、今の仇敵はラッドです。

それでも、話し合いは満足のいくものとはならなかった。

「私は、彼を完全には信用してない」

猪木はパワーズが去った後、可愛らしい妻に語った。

「彼は、ラッドを傷つけようとしたが、私を助けてはくれない。彼は、ジョニー・パワーズ自身とっていい事だけを望んでいる。
 彼が私に言ったことの全て、非常に大きな塩の粒であると、注意しなければならない。」

 しかしながら、一度、彼が歩いて、コーナーに立ったら、アントニオ猪木を唯一、守れるのは、自分自身だけだった。

そして、このことは、猪木以外、誰も知らなかった。

 猪木は、NWF関係者やクリーブランドの市のお父さん達より、特別待遇で扱われた。


 ラッドは市から約100マイル離れたオハイオの農場で孤立してトレーニングしていた。

「私はアメリカのベルトを獲ることは出来ない。」

ラッドは言った。

「何故なら、何処の国から来たかは問題なく、猪木と同程度の一部のレスラーによって王座が握られている事を、私は知っているからだ。
私はベルトを獲って、それを証明したい。」

 試合の夜、二人のレスラーは、ロープを潜りリングに上がったとき、冷淡な現実を見た。

 猪木は、自分のコーナーに立ったとき、栄誉を受取り生きてゆく前に、死をみる事を覚悟した。

クリーブランドの観衆は、王者を讃えた。

 猪木は、彼らが、王者がタイトル防衛の成功を望んでいることを知った。

 一本目のゴングが鳴ってから、両雄は自分の能力とレスリングの狡猾な動きを駆使して闘った。

 互いに、多くの得意技と作戦を駆使したにも関わらず、優劣がつかなかった。

各々が、試合時間、15分経過し、信じられないほどの罰を受けた。

それぞれの顔に苛立ちが見え始めました。

両方ともこの刑罰が永遠に続くことができないことを知っていた。

最初に相手を壊せば、生き残ることができる。

 驚くことではないが、拳は最初は数回の速いパンチを出し始めたが、すぐにそれはボクシングの試合となった。

二人の男は激しく互いを殴り合った

両雄とも成功し、二人共にノックアウトされた。

一本目は引き分けに終わった。

 2本目のフォールは、優位を獲得するまでの一本目と同じ残忍な繰り返しの末、最終的にラッドが奪った。

 アーニーは猪木を持ち上げ、日本のチャンピオンをコンクリートの床に強く投げつけた。

 猪木は引き分けてリングに戻ったが、ラドが彼を抑えるのは簡単なことだった。

その後、論争が起こった。

 レフリーとラッドは、アーニーが2回のフォールを取り王座を獲得したと考えた。

 怒っていたラッドはベルトを頭の上に持ち上げ、喜んで控え室に戻った。


 しかし、関係者は直ぐに、NWFルールによると、一本目のフォールは、フォールの半分に過ぎないとレフェリーに説明した。

 ラッドはもう一度戻って、試合しもうワン・フォール取らなければならなかった。

このフォールを除いて、アーニーは参加者よりも犠牲者だった。

壁に背を向けた猪木は、華麗な一連のドロップキックを実行した。

ラッドは猛攻撃によって互い違いになった。

猪木は「ビック・キャット」を抑圧し、試合は引き分けで終わった。

ファンの反応は約半分で、半分が失望した。

その歓声は賞賛に値するものではありませんでした。

怒っているキャット・コールを聞いて、ラッドは群衆に向かった。

「たとえ、あなた方が、私の熱烈なファンであっても」

ラッドの声が響く

「この男の偉大さ、アントニオ猪木を否定することはできません。
今夜、私たちは引き分けだったのでどちらも勝者とはみなされません。
ベルトは、正当にそれを身に着けている、アントニオが間違えなく保持している。」

ラドは猪木の肩に腕をかけ、二人は控え室に戻った。

群衆はワイルドになり、両雄をスタンディングオベーションで讃えた。

 ラッドは前に進み、チャンピオンが群衆の歓声を受け取れるようにしました。

しかし、ジョニー・パワーズは応援しなかった。

彼は猪木に飛び乗り、彼を殴り始めた。

乱闘を止めるには2人のレスラーが必要でした。

「私は王座に返り咲く!」

パワーズは猪木に対して何度も何度も叫んび、怒った猪木は控室に戻っていった。

「奇妙だ。」

猪木は言った。

「レスリングには、アーニー・ラッドやジョニー・パワーズのような様々なレスラーがいる。ラッドは紳士でパワーズは動物だ。
 しかし、彼らはどちらも紛れもなく偉大なレスラーです。
才能は、どんな人間であるかに関わらず与えられるようだ。
奇妙なことですが。」

 

                          以上、翻訳終了

 

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