私が最も影響を受けたプロレス同人誌「オールラウンド」はF.C.界の頂点 | プロレス表舞台の放浪記

プロレス表舞台の放浪記

一プロレス・ファンから、電子書籍『プロレス表舞台』を立ち上げた斉藤雅治が、プロレスと関わった日々を想いのまま、書き綴る。

 私のプロレスの見方に最も影響を与えたプロレスF.C.は何かと問われれば、迷わずプロレスリング愛好会「オールラウンド」と答える。
 首都圏中心のプロレス界の中で、第2次F.C.ブーム、札幌のプロレスF.C.がトップレベルであった事は先日書かせて頂いたが、その中でも「オールラウンド」は、“ARなくしてプロレスF.C.は語れない”という存在であった。
 専門誌紙の批評を見ても、ARは群を抜いており、私自身も同郷のF.C.の活躍に、日を追うごとに興味が高まった。
当然の如くARに入りたい思いも強まっていったが、残念ながら、会員募集18歳以上の条件を見て、入会断念したのを覚えている。

「オールラウンド」解散宣言号を今でも時々読み返す私。ターザンになる前の山本隆司も特別寄稿


ARとは、一体どんなF.C.であったのか・・・・
東京を本拠地にしたミル・マスカラスF.C.「エルアミーゴ」、プロレス総合F.C.「JWC」、新日本プロレスF.C.「炎のファイター」あたりのF.C.が、派手な活動をし、当時はトップクラスのF.C.と言われていたが、ARは北海道の片田舎に本拠地を置きながらも、そういったF.C.に負けないだけの評価をされていた。
会員を見ると、全国のプロレスF.C.代表者クラスの名前が連なり、会報の写真もプロ級の迫力写真が並ぶ。それもその筈、写真の多くは、後にトウスポ・カメラマンとなった副会長が撮影していたのだ。
わたくし事にはなりますが、副会長が「別冊ゴング」のファンとの遭遇のインタビューに登場したとき、「将来の夢はエプロンサイドでイノキの表情を追う事です。」と答えたのを読み、自分の夢もこれだ!と思い、写真を勉強し始めた。結局、私は大学卒業後、全く別の道へ行ったが、あれから30年近くが経過し、今こうして「プロレス表舞台」を始めたのは、何とも不思議な感覚だ。
 話が横道に反れてしまったが、何よりARの一番素晴らしかったのは、会長の存在であった。会報に会長のプロレス哲学、人生哲学がにじみ出ていて、惹きつけられた。北海道にいながら、プロレスF.C.の頂点を極めたARの会長を、同郷の先輩として誇りに思っている。

 ARの入会を諦めた後、自分自身でF.C.を立ち上げようという考えに至り、プロレス総合F.C.「レスリング・ウォーズ」を結成した。自身のF.C.の会報でARの会長に2度程、インタビューさせて頂く機会に恵まれたが、その際“実はARに入会したかったが年齢制限で諦めた”話をしたら「言ってくれれば良かったのに」のお言葉を頂いたが後の祭りであった。その時会長から頂いたAR解散宣言号、26号は今でも私の宝物である。
 

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