札幌のプロレスF.C.は個性的で全国トップレベルだった | プロレス表舞台の放浪記

プロレス表舞台の放浪記

一プロレス・ファンから、電子書籍『プロレス表舞台』を立ち上げた斉藤雅治が、プロレスと関わった日々を想いのまま、書き綴る。

 昨日、首都圏のF.C.に憧れながらも、地元のプロレスF.C.に魅力を感じていた事は書かせて頂いたが、第2次プロレスF.C.ブームの初期は、札幌に住んでいた。
 年数度の札幌中島スポーツセンターでのプロレス興行を観戦しながらも、東京で開催されるビッグマッチを羨み、将来は絶対に東京の大学に進学しようと決めていた。(高校時代までは札幌で暮らす)
 トウスポ、ゴング、ベースボールマガジン社等、主要プロレスマスコミは東京に集中し、F.C.活動を行う意味でも首都圏が色々な意味で有利であったのは仕方ない。しかし、地方には、地方なりの味があり、そんな中でも自分が住んでいた札幌は、個性的でレベルの高いF.C.が揃っていた。
 何と言ってもプロレスリング愛好会「オール・ラウンド」の存在が一番気になっていたが、当時、会員募集で18歳以上の条件があり断念したのを覚えているが、ARについては、また後日、書かせて頂きたい。
 女性だけのF.C.の先駆者といえば「We can fly」も札幌に拠点を持つF.C.であった。後に、首都圏でも、女性だけの新日本プロレスF.C.「ザ・エキサイティング・ガールズ」等も登場する。「We can fly」の会長はARの副会長であったが、会員は女性限定とのことで、こちらも入会は断念。

 F.C.とは少し違うが北海学園大学プロレス観戦愛好会でも、定期的に「闘う男たち」という会報を発行していて、札幌のパルコ等の書店などでも販売、私自身も何部か購入、読ませて頂いた。専門誌紙でも高い評価を得ていた会報だ。こちらも、大学のサークルで、基本的に部員は生徒が原則?他にも、岩見沢では駒沢大学プロレス観戦愛好会「カウント3」などもあった。
 こうして見てみると、数は少ないがハンディを感じさせず圧倒的な個性で、東京のF.C.に負けないだけの勢いが当時の札幌を中心とした地元のF.C.にはあった。・・・・つづく

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