普段、人権・命は大切と聞こえの良いことを言っている人の中に「人の死を喜ぶ者」もいる!

 

アメリカでチャーリー・カーク氏が殺害された時、こんな人たちが居た。

 

 

日本にもこんな人たちが居た。

 

 

 

このような人たちは、「人」を見ず、「主義・思想」しか見ていない。

 

「人」を見ていないからこそ、平気で人の死を喜べる。

 

つまり、こんな人たちが普段言っている「人権を守れ!」や「命は大切!」という聞こえの良い言葉は上っ面だけだとわかる。

 

そして、こんな人たちはこの程度の倫理観だということも!

 

 

 

岩屋外相や赤澤経済再生相らも首相に同調し、〝解散であいつら(反石破派)を粉砕しろ〟

 

産経新聞の記事の中にこのような内容を見つけた。

 

産経新聞 「『一人で戦えるか』と幹事長に突き放され神にすがる石破首相の精神 新潮が疑う 花田紀凱」

 

 

上記の記事内容が事実だとすれば。

 

9月8日の臨時総裁選要求書提出に焦り「衆議院解散」に突き進もうとした石破茂。

 

それに岩屋毅(外務大臣)と赤澤亮正(経済再生担当大臣)が同調し、威勢よく「解散であいつら(反石破)を粉砕しろ」と言い出す。

 

ところが、森山裕(幹事長)からは「解散するなら私は関知しない」と突き放され萎んだ。

 

 

 

  ここで石破茂が考えていた「衆議院解散」とは何のための解散だったのか?

 

日本国のため?、日本国民のため?

 

いやいや、「解散であいつらを粉砕しろ」と言い出す始末なのだから、日本国や日本国民のためではなく、自身の都合、自身の主義・思想と異なる者を「粉砕」するための衆議院解散なのは間違いない。

 

このことからわかるのは、

 

石破茂、その他、岩屋毅、赤澤亮正という人物は、日本国民という「人」のことを考えず、自身の「主義・思想」だけで「衆議院解散」に突き進もうとしていたわけだ。

 

「人を見ず主義・思想しか見ていない者」ということ。

 

これは大変危険な思考だ!!

 

結局、自民党を分断させようとしていたのは石破茂、岩屋毅、赤澤亮正だったわけだ。

 

 

 

先述の「人の死を喜ぶ者」は、

 

●自分とは異なる主義・思想・意見の人など死んでもいい、

さらに突き進めば、

●自分とは異なる主義・思想・意見の人など殺害してもいい、

さらにさらに突き進めば、

●自分とは異なる主義・思想・意見の人など殺害せよ!

 

となる。このような方向性の思考の持ち主と言える。

 

その証拠にこんな主張をする者も存在する。

 

 

 

そんな、「人を見ず主義・思想しか見ていない者」が集まり権力や武力を握ろうものならどうなるか?

 

反する者は排除という、指導者原理に基づく独裁政治と権威主義的な統制を行うファシズムに突き進むことになる。

 

反暴力、反戦、反軍国主義、反ファシズムなどと言いつつ、言っていた者自身がその方向へと突き進む。

 

 

 

普段、聞こえの良いことばかりを言っていた石破茂が、岩屋毅や赤澤亮正とともに、自分たちの主義・思想だけで衆議院解散へ突き進もうとしたことは、私利私欲のための政治、独裁政治に等しい思考と行為だ。

 

自分たちの主義・思想とは異なる者を尊重せず「粉砕」しようとしたのだから。

 

民主主義にも反し、自身の主義・思想、感情でどうにかしようと法治国家であることも蔑ろにした反逆行為。

 

安倍元首相が総理大臣にしてはいけない人物と言ったとされる理由は十分理解できた。

 

 

  「人を見ず主義・思想しか見ていない者」の危険性が見えてきた

 

「人を見ず主義・思想しか見ていない者」が人の死を平気で喜び、他者の主義・思想・意見など尊重もせず粉砕しようとする。

 

これこそ、独裁、ファシズムへの第一歩だ。

 

 

 

「人を見ず主義・思想しか見ていない者」は左派、右派どちらにも言える。

 

なので、ファシズムなど偏った状態は左派だから起こり得ないとか、右派だから起こり得るという話ではない。

 

結局は、思考が偏り、その偏りが極端になればなるほど、どちらからも起こり得るということ。

 

だからこそ、バランスが大切なのだ。

 

左に偏ったなら少し右に戻す、右に偏ったなら少し左にと微調整しながらバランスを保つことこそが平和の維持、社会の安定になるのだ。

 

自身が左寄りだからと、右寄り(実際には左端から見れば中央でも右に見える)を嫌い、さらに左寄りにしたことでバランスが崩れ、社会が不安定になり、人々の心も落ち着かなくなり、犯罪も増えていく。人々の心理が犯罪や治安に影響することは歴史を振り返っても何となくわかる事実だ。

 

岸田政権から石破政権への流れもそのような感じだ。

 

目には見えないものも社会、世の中に影響する。

 

世界的にそうだが、日本においても崩れたバランスを取り戻すことが社会の安定に繋がる。

 

 

 

自身の主義・思想ばかりを見て、人々を見ない者に政治はできない!させてはいけない!

 

そのような者は、左右どちらかの端っこで活動していればいい。

 

政治は、人々を見る者でなければダメだ!

 

左右どちらにも極端に偏らず中央付近から両側を同じように見ることができる人こそが、左右どちらの人々にとっても妥協できる安定した社会を実現できる。

 

これまでの政権は、中央付近で左寄りと右寄りの人が交代交代で首相になっていたことで他国に比べ比較的安定した国、社会を維持できていた。

 

ところが、岸田文雄、石破茂によってそのバランスが崩れたことで・・・現状に至っている。

 

 

 

安倍元首相はマスコミが言うほど右寄りだっただろうか?、世の中を左寄りにしたいマスゴミが右寄りだと印象操作しながら煽っていたというのが実態ではないのか。

 

左端から見れば中央付近の人も右寄りに見えるもの。

 

主張している人がどの位置から見ているかに注意しましょう!

 

 

 

さて、石破茂、石破政権の面々はどれだけ日本国や日本国民を見ていたのか?

 

自分たちの主義・思想ばかりを見ていたのでは?

 

その証拠に、長く継続する物価高、米価格高騰に対し、減税するでもなく、給付するでもなく、2024年末に野党と合意していたガソリン価格暫定税率廃止も結局1年放置状態、緊急時のための備蓄米をほぼ空にしても米価格高止まりで、日本国や日本国民のことを見ているようには思えない。

 

自分たちの主義・思想ばかりを実現、継続させようと、真っ先に中国に対しビザ緩和を打ち出し、アフリカ開発会議(TICAD)で国民の知らぬうちにアフリカ支援と労働者受け入れの約束をしていた。

 

結局、石破政権は日本国民のために日本国民が望む何をしたのか?

 

 

 

だから!

 

「人を見ず主義・思想しか見ていない者」は政治家ではなく活動家でしかない!

 

と私は主張しているのだ!!

 

 

 

例え嫌いな人物の死だとしても、人の死を喜ぶような人間は論外だ!

 

そんな倫理観で平和など実現できるわけが無い!

 

本当の意味での平和を実現したいのなら、その倫理観を改めるところから生き直すべきだ!

 

私は人の死を喜んだり、自分のためなら人を傷つけても実現する、そんな人間に成り下がりたくはない!

 

 

 

結局、石破茂とは、政治家を装った活動家だったということ。