揶揄されたようでイラっとする人もいるだろうが、言葉狩りをせず逆利用しよう!

 

YAHOO!ニュース 「『男性差別』『ハラスメント』トラウデン直美、総裁選ポスターを『おじさんの詰め合わせ』と評し批判殺到」

 

 

別に揶揄させておけばいい!

 

「おじさんの詰め合わせ」という揶揄がOKなら、「おばさんの詰め合わせ」と揶揄してもOKになるのだから

 

これこそ男女平等、それだけのことさ。

 

「おばさんの詰め合わせ」と揶揄する機会を得たと思えばいい。

 

そもそも、自民党総裁選のポスターで過去の総裁を配置したものなのだから、おじさんの詰め合わせになるのは仕方のないこと。

 

だったら「女性で仕事もできる高市早苗氏を総裁にすべき」とでも言えばよかろうに。

 

 

 

いずれにしても、自身の行いは自身にも返って来ることが前提であり、当然であり、摂理のようなもの。

 

言った者はいつか自身が言われる側にもなる。

 

「おばさんの詰め合わせ」のような写真、ポスターにトラウデン直美氏が入っている時に、「おばさんの詰め合わせのようだ」と揶揄されても、トラウデン直美氏は黙って受け入れるということでしょ?

 

その覚悟のうえの発言なのだからOK、OK!

 

自分がそのように言われたくないのに他者に対してそのように発言したのなら自己中心的、他者に厳しいくせに自身に甘い人間ということで、人間性に問題ありとなる。

 

その時は、「あぁ、この人はこういう人なのだな。」と思えばいい。

 

 

 

私は現時点でトラウデン直美氏の一貫性の無さ、薄っぺらさを感じている。なぜなら・・・

 

店側に「環境に配慮した商品ですか?」と尋ねるのに、「人の心に配慮した言葉ですか?」と自身に問わないのか?

 

「店員に『環境に配慮した商品ですか』と尋ねることで店側の意識も変わっていく」と自身の環境保護に対する考えを述べたことがあるトラウデン直美氏。

 

「環境に配慮した商品ですか?」と店に尋ねることで店側の意識も変わっていくと考えるのに、「人の心に配慮した言葉ですか?」と自身に問うことでSNS上などの誹謗中傷も減っていくとは考えないわけか、トラウデン直美氏は。

 

この一貫性の無さ、筋の通っていない言動に信念の薄っぺらさと、その時その時の都合に合わせた言動でしかないことが透けて見えている。

 

 

 

言葉の暴力が酷くなった今こそ、トラウデン直美氏のような意識の高い人物が、「自身に『心に配慮した言葉ですか』と問うことで誹謗中傷に対する意識も変わっていく」とかなんとか言うべきでしょ!

 

自身の揶揄したい気持ちに高い意識が負けちゃった?

 

 

 

【追記】

 

そして、上川外務大臣に対する麻生氏の「おばさん」発言も、問題ない発言だったということになる。

 

 

言葉狩りをすればするほどお互いに何も言えなくなるばかり。

 

我々自らが表現の自由や言論の自由を棄損しているようなもの。

 

「おじさんの詰め合わせ」をOKにして、「おばさんの詰め合わせ」も言えるようにしましょうよ!

 

「おじさん」呼ばわりをOKにして、「おばさん」呼ばわりしましょうよ!

 

でいいじゃないか!