聞こえの良いことを言っていても、それは自分たち仲間だけの限定

 

自分たちと主義・思想・考え方の異なる多くの人たちの人権や命などはどうでもいい!

 

それが透けて見えているから、多くの人たちから支持されない。

 

上っ面だけで判断せず中身を見ようとする至極当然で真っ当な人たちには、上っ面を繕ったその主張と実際の行動との違いに気持ち悪さを感じてしまう。

 

そう思われたくない、言われたくないのなら、あなたも主張と行動を一致させればいいだけ。

 

主張と行動のどちらに合わせるかはあなた次第!

 

 

 

厳しい選挙への挑戦を決意してくれた蓮舫さんには心からの感謝と敬意を表したいと思います。

これは問題ないでしょう。蓮舫さんに感謝と敬意を表するのは支持者としては当然のことでしょう。

 

ただ、尊重と敬意は他の候補者に対しても同様にあるべきもの。蓮舫さん限定では他の候補者を支持した人たちは蓮舫さんや蓮舫支持者に興味など持たない。

 

 

こうしたマスコミ含め、挑戦者を嘲笑する社会

自身が死者をも嘲笑しているから、嘲笑されているように受け取るのかもしれないが、批判と嘲笑は違う。

 

 

自分たち仲間が批判されたのを嘲笑と受け取り、そんな社会はダメと聞こえの良いことを言っているが、自分の嫌いな人たちの人権、命などはどうでもいいのでしょ?

 

だって、自分の嫌いな人物の死を平気で笑い話にし嘲笑していたじゃない!

 

ほら!、この主張と実際の行動の違いに気持ち悪さを感じるのですよ。

 

先ずあなた方が嘲笑をやめたらどうか?

 

それとも、行動に主張を合わせて、「嫌いな人の死なら嘲笑してもいいのだ!」と宣言でもするか?

 

私は、そのご立派な主張に自身の実際の言動を合わせるよう精進した方が良いと思いますけどね。逆に、なぜそれができないのか理解できない。

 

性根の問題なのかな?

 

 

そりゃ野党も強くなるわけないし

おいおい、主張と実際の言動に違いがあることなどの要因で自分たちが多くの人から支持されないのに、勝手に人のせいにする気か?

 

勝手に人のせいにする人を好きにはなれない人は多いと思います!

 

この思考では敵を増やすだけですね。

 

 

結果として健全な民主主義が機能せず

「民主主義」なんて聞こえの良い言葉まで使っているが、人の死を嘲笑する時点でその思考や精神に不健全さを感じる人たちから「健全な民主主義」などと言われてもねぇ・・・

 

ほら!、ここでも聞こえの良い主張と実際の言動の違いに気持ち悪さを感じてしまう。

 

やはり、主張に実際の言動を合わせるか、実際の言動に主張を合わせるかした方が良いのでは?

 

安倍元首相暗殺を嘲笑していた実際の言動に合わせて、「自分にとって嫌いな人の死なら嘲笑してもいいのだ!」と主張するか、安倍元首相暗殺を嘲笑していた実際の言動を謝罪し、「人の敗北や死を嘲笑する社会ではダメだ!」と主張するか。

 

主張と実際の言動をどちらかに合わせれば、少なくとも変な違和感、気持ち悪さは無くなる。

 

どちらに合わせるかによっては支持者も増えるでしょう!

 

あ、上っ面だけで合わせてもダメですよ!性根からでないと。

 

どちらか一方は簡単でしょうが、もう一方は性根から変わらないと難しい。

 

 

それは私たち国民にとって大きな損失だと思います

これはその通りですよ!

 

ただ、自分たち仲間内だけ限定の敬意だったり、人の死をも嘲笑する人に主張されたところで、やはり、主張と実際の言動の違いに気持ち悪さを感じてしまい、飲み込めない。ペッと吐き出してしまうのです。

 

主張と実際の言動に違いがなく、しっかりと筋が通っていればねぇ・・・

 

 

 

他者に敬意を払わなければ、自分に対しても敬意を払わなくてもいいと宣言したようなもの。

 

他者の死を嘲笑すれば、自分が死んだときにも嘲笑していいですよと宣言したようなもの。

 

私はそう考えている。

 

何なら、他者の生きる権利を奪ったのなら、自分の生きる権利を自分で放棄したようなもの。

 

そう考えるべきだとも思っている。

 

正当防衛などは裁判で考慮されるべきだが、自分の勝手な都合で他者の生きる権利を奪っておいて、自分の生きる権利は主張するって、実際の行動と主張に違いがあり気持ち悪いでしょ!筋が通らない!!

 

気持ちの悪い世の中は健全とは言えない。