その透けて見える思考が相応しくないと思われるのだが
自分たちの考えが最高、最善だ、素晴らしいのだ!と思っているだろうから、分からないだろうな。
自身を俯瞰して見てみるといいのだが・・・
緑の薬を飲んだ人たちを、紫の仲間はよく俯瞰できてるね、本物の強さを再確認させていただきました。
小池氏に投票した都民を「緑の薬を飲んだ人たち」と揶揄した時点で、その緑の薬を飲んだ人たちがあなた方の支持者になる可能性を自ら低下させたようなもの。
自分たちの方が素晴らしいのだ、小池氏に投票した都民は愚かだということでしょ?
普通に考えて、「私たちを支持しないあんたは愚かだ」と言われて、「では、あなた方を支持します!」とはならんでしょ。
たとえ自分たちを支持していないとしても、相手の気持ちを考えれば、安易に「緑の薬を飲んだ人たち」などと揶揄し、貶め、自分たちを自画自賛するような発言をSNSに投稿などできない。
今は支持者でなくとも、時には協調し、時には味方となるかもしれないのに。
「それを言っちゃあ、おしまいよ!」
他者を上から目線で俯瞰するよりも、自身を相手の立場、相手の気持ちになって客観視することをおすすめする!
ちなみに、私、小池氏支持者でもなければ都民でもありません!
ただ、小池氏を支持し投票した都民がこのように揶揄されたら嫌な気持ちになるだろうなと思ったのと、石丸氏を支持し投票した都民なら「そうだ、私たちは俯瞰できている正しい都民なのだ」とでも思うのだろうなと双方を客観視してみただけのこと。
今後が脅威だから終わったのに叩いてくるんです。逆効果なのにね。
叩くという点ではお互い様でしょう。
「緑の薬を飲んだ人たち」などと揶揄し相手を蔑むことで叩いているわけだし。
上記にもあるように、自分たちを支持しないからと相手を揶揄し貶めたところで「逆効果なのにね。」
逆効果もお互い様となる。
都知事選においても彦根市長選においても、様々な候補者を様々な人が様々に支持し投票するわけだが、結果がどうであれ行政は誰に対しても平等に対応しなければならない。
その長となる者が、「こんな優秀な自分たちを支持しない者は愚かだ」という思考で良いのか?
人には心があるので、「こんな優秀な自分たちを支持しない者は愚かだ」という思考を支持していない人が感じ取れば、より信頼することはできないだろう。
今の世の中、人の心を考えなくなっている。
自分とは異なる主義・思想・考え方の人に対しては、端から一切敬意を払わず敵視し切り捨ててしまう。
これでは味方が現状以上に増えないどころか、敵でも味方でもない人までも敵にしてしまう。
目に見えないものもあるのだが、目に見えないものは考慮しない世の中になってしまった。
きっと、石丸伸二氏の政策、考え方を継承しない市長を選択した安芸高田市民に対しても、「愚かだ」と思っているのでしょうね。
自分たちを支持しない都民は愚か、自分たちを支持しない安芸高田市民は愚か、次は誰が愚か者扱いされる?
彦根市長選で和田氏を支持しない彦根市民も愚か者扱いされるのでしょう。
でも、多様性を容認?、基本的人権を尊重?、思想信条の自由?、言論の自由?は大切だと言うのでしょうね。
でも、実際の言動がそれら言葉の価値と信頼性を下げてしまっている。