男女平等、多様性、差別を訴える側の都合だけで判断していいのか?
共学ネット・さいたまの会員らが10日、県庁で会見し「これからの社会に共学化は必要だ。一歩を踏み出してほしい」と訴えた。
とあるが、「これからの社会に共学化は必要」?、そこ?、多様性ではないの?
現状、共学高校もあり、男子校もあり、女子高もあって、選択肢が3つあるわけだが、男子校、女子高を無くしたら共学のみとなり、選択肢は1つだけになる。
となると、男子校じゃないと嫌な人、女子高じゃないと嫌な人、共学は嫌な人はどうしたらいいのか?
共学化推進を求める市民団体「共学ネット・さいたま」は、そこは考えないわけだ。
田辺さんは共学化を訴える根拠として(1)誰に対しても開かれた公教育(2)男女共同参画の推進(3)性的少数者の権利擁護―を挙げ、「勉強するのに性別を問う必要はない。合理的な理由のない区別は差別だ」と主張した。
(1)誰に対しても開かれた公教育
先にも述べたように、共学のみにした場合、男子校じゃないと嫌な人、女子高じゃないと嫌な人、共学は嫌な人にとっては閉ざされた公教育ということになる。
男子校は女子が入学できないから女性差別だ!などと言いたいだろうが、男子校があり女子高もあり共学もあるのだから男性、女性、性別にかかわらず誰に対しても選択肢は複数存在している!
(2)男女共同参画の推進
男女共同参画の推進が男子校や女子高では不可能で共学でしか実現できないという明確な根拠は見当たらない。「男女が一緒ではないから」という安易な理由を掲げる程度では?
(3)性的少数者の権利擁護
性的少数者も個人によって様々で、共学しか選べないことが逆に困る人だっているだろう。
「勉強するのに性別を問う必要はない。」
と言うならば、別に共学であろうが、男子校であろうが、女子高であろうが勉強するのに関係なかろう。それこそ共学に拘る必要もないのでは?
「合理的な理由のない区別は差別だ」
とあるが、共学一択、つまり共学強制という多様性の排除の方が合理的な理由のない画一化であり、男子校を選択したい人、女子高を選択したい人、共学を選択したくない人に対する差別でしょ!!
さも、「男女平等、多様性、性的少数者への配慮を考えています!」と上っ面ではそう見えても、結局は「男女共学強制」、「多様性の排除」、男性にとっても女性にとっても性的少数者にとっても選択肢を狭めるどころか一択に強制することになり、より生き辛い世の中になるだけ。
自分たちの主義・思想からのみではなく、様々な角度から様々な状況を想定しつつ考えるべきこと。
というか、現状で問題なし!
共学一択にして共学を強制し多様性を排除することはやめよ!
男女共同参画は高校でしか実現できないわけではない!、社会全体としてそうしていけばいいこと!