テロを実行し警察から逃げ切り病院のベッドで安らかに死を迎える?
読売新聞 「『自分は桐島聡だ』と名乗った男、爆破事件についても話す…末期がんで入院の病院で死亡」
この人物が実行犯ではないが、同じく東アジア反日武装戦線が起こした三菱重工爆破テロによって8名の方が亡くなっており、そのうち5名の方が病院のベッドの上でなく現場で即死している。
テロの犠牲者はベッドの上で死を迎えることなく即死で、テロリストが病院のベッドの上で医療関係者に看護されながら死を迎えたわけだ。
自分の主義・思想のためなら他者を殺害しても良いという思考を絶対に許せない私からすれば、この筋の通らぬ状況に腹が立って仕方がない!
しかも、東アジア反日武装戦線は犠牲者を発生させただけでなく、犠牲者を死後もなお冒涜している。
自分勝手な犯行声明の一部
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
このような一方的で身勝手な思考を許してはいけない!
ましてや、その身勝手な思考で他者の命が奪われていいわけがない!
身勝手な思考で他者の命を、生きる権利を奪った者に、自身の生きる権利を主張する権利など無い!
他者の生きる権利を奪った時点で自身の生きる権利を自ら放棄したと見なすべきだ。
それとも、他者の生きる権利を勝手に奪っておきながら、自身の生きる権利は主張する矛盾を許すのか?
それのどこに筋が通っているのか!
話しはそれるが、
このような観点から私は、死刑制度はあってしかるべきだし、そのうえで法廷で審理し判断を下せばいいと考えている。
2人以上殺害したら死刑があり得るみたいな考え方ではなく、1人の生きる権利を奪った時点で犯人は自ら自身の生きる権利を放棄したと見なしたうえで、なぜ殺害に至ったのかを審理し、その都度、殺害人数にかかわらず判断することを望む。