「命は大切」と言いつつ、それは自分と自分に関係するものに限定?
そんな風に感じてしまう主張が結構多い。
私の感じ方の問題なのだろうか?
「命は大切」などと主張しながら、自分にとって嫌いな人物が殺害されると「自業自得だ」と言わんばかりの主張をする者もいるが、そんな者の言う「命は大切」は、「(自分と自分の仲間の)命は大切だ(その他はどうでもいい)」という意味なのだと解釈している。
しきりに「ペットも客室に!」と主張している者も「(自分と自分のペットの)命は大切だ(その他は考えてない)」という考えなのだろうか?
日本のニュース「どうやったらペットを救えるか」ばかりで、「どうすれば海上保安庁の人たちの命が失われずに済んだか」を話し合う人の声が聞こえてこず、とても悲しいです。https://t.co/p9ssln2e6p
— 🇯🇵Sachi ダーウィンAus.🇦🇺 (@sachihirayama) January 6, 2024
私は、なぜこのような事故になってしまったのか、どうにか防ぐ方法は無いのかが気になるが、
ペットを飼っている人たちの一部にとっては事故そのものよりも犠牲となった5人よりも犠牲となったペットのことで頭が一杯なのだろう。
ま、人それぞれなので「あ、そういう人なのね。」と思うだけだが、もう少し思考の範囲を自分の身の回りから広げて欲しいものだ。
私がもしペットを客室内に持ち込み、緊急時にペットと一緒に脱出しようとしてもたつき、私の後ろに並んでいた人たちが脱出に遅れ犠牲となったら・・・
以後の人生、頭の中にずっとそのことが残る気がする。
私は「(自分と自分の仲間の)命は大切だ(その他はどうでもいい)」という考え方ではないので。
産経新聞 「日航機事故で犠牲の2匹のペット 『緊急時は仕方ない』『一緒に逃げて』SNSで論争」
現状は、緊急時には荷物、ペットを諦め、「乗客、乗員の命を」ということだが、荷物を諦め、「乗客、ペット、乗員の命を」にしたいわけか。
ペットを抱えても何も持たない人と同じように脱出できるならいいが、両手ふさがった状態で斜めになった機内を歩いたり、シューターを滑り降り後続を妨げることなくスムーズに立ち上がることができるだろうか?
権利を主張する前に想像力をしっかり働かせて考えてみて欲しい。
記事によるとスターフライヤーで小型ペットを客室内に持ち込めるサービスを開始するようだが、こちらも緊急時にはペットは荷物同様に機内に置いて脱出することになる。
その旨を了承するよう同意書を提出してもらうようだが、実際その時になったらどうなることか。
「ペットを置いていけない!」などと取り乱し、脱出の妨げになるのでは?
その可能性はゼロではないだろう。
となると、そのようなサービスのある航空機に搭乗する際には、スムーズに脱出できない可能性があることを覚悟して搭乗しなければならないわけか。
そちらの同意書も必要になるかも。
ペットと搭乗する場合は出口から遠い席で、かつ、緊急時の脱出は最後、できたら機長も犠牲にならぬよう機長が脱出した後にしてもらいたいが、そこまでは無理だろうな。
誰かの要望によって誰かの命が脅かされるとは・・・
その要望と命のバランス取れてる?
やはり、「命は大切」は偽善でしかないのか?