移住するなら同じ宗教を同じ熱量で信仰している国の方が良いのでは?
私はどこかの宗教を熱心に信仰しているわけではない者ですが、話している相手から「神は一人しかいない」とか、「神はあなたを殺す」などと言われようものなら恐怖でしかない。
産経新聞 「<独自>『神はあなたを殺す』 杉並区後援の交流イベントで外国人が区民に暴言」
私からすれば、「そのあなたにとって唯一の神は自分とは異なる考えの人を殺してもOKとする神なのね、神がそうだとしたら、この世から戦争が無くなるわけないな。」と納得できてしまう出来事のひとつ。
そのうえで、やはり宗教は日々の生活の範囲内で、ささやかに信仰する程度が丁度良いと改めて自身の考えに間違いはないと確信を強めることができた。
人の命、生き物の命を大切に!
自然を大切に!
良い事も悪い事もあるだろうが、どんな時も感謝の気持ちを忘れずに!
自分がされたら嫌なことは他の人にはしないこと!
この程度でいいのよ。
そもそもは、どのような心持で日々生活すればよいのか?から始まったものだと思うのだけど・・・
難しく考え過ぎて、後から色々なものを付け足し、都合に合わせて解釈を変えたり、様々な派閥に分裂したり、派閥ごとに対立したり、いじくり過ぎたせいで本質を忘れおかしくなっている状態では?
原点を見直し、そもそもの目的、本質を思い出すことができれば、様々な紛争、戦争は今より減ると思うのだが、無理だろうね。人間には。
自分のために都合良く解釈を捻じ曲げるのが人間だから。
だったら、せめて、同じ宗教、似たような考え方、お互いに許容できる者同士で暮らした方が、直接的な対立は減り、お互いに暮らしやすくなると思うのだが、なぜ、まったく異なる宗教、異なる考え方、異なる生活様式、異なる文化、風習の国に移住しようとするのか?
しかも、自分にとって都合が悪くなると「神は一人しかいない」と言ったあと、「神はあなたを殺す」と、大声で叫ぶくらいならなおさらのこと。
自分にとって宗教上、人間関係上、生活上、都合の良い国を得れべば良いのに。
それ以外のことで都合が悪かったのかな?何でしょう?
実は何か別の目的があるのではないか?と、考えざるを得ない。