皆で仲良く平和に暮らすのが理想ならば、ある程度の区別は必要

 

出生国、出身国、人種、民族、文化、慣習、宗教などなどが違っている人たちが同じ国で仲良く暮らすのが理想なのでしょうが、現実はどうか?

 

同じ国で暮らしていても、何か事が起こる度に、出身国、人種、民族、宗教を理由に対立している

 

 

これが現実!

 

理想を掲げるのは良いが、今そこにある現実をどうにかしなければ対立による犠牲者は増えるばかり。

 

理想を掲げるだけでは誰も幸福にはならない。

 

困っている人を助けるのは良い事だ、だから民族や宗教や慣習や考え方が違っていても受け入れるべきだという理想論の結果、離れていれば生じなかった新たな対立をそこかしこに生み出している

 

 

 

やはり、移民として他国で生きるには、その国の歴史を理解し、ともすれば自分には無駄と思えてしまうその国の伝統、文化、慣習を受け入れ、その国の考え方や宗教を否定したり自身の考え方や宗教を押し付けることなく生活できるのか?を考え、覚悟したうえで決めるべきだ。

 

それらを考えず、今より裕福な暮らしができそうだから、金儲けできそうだから、といった程度の心無い理由による移民や、経済的、政治的に困っているという理由だけでの移民受け入れを制限し、ある程度の区別をつけることが、結局は直接的な対立の発生を防ぎ現状よりは争いが減ることになるのではなかろうか?

 

経済的、政治的に困っているとしても、その国の歴史、伝統、文化、慣習を理解せず受け入れようとせず、その国の考え方や宗教を否定し、自身の考え方や宗教を押し付けるならば受け入れない方が直接的な対立を避けお互いのためになる。

 

 

 

直接的な対立は時に人の生きる権利や命を奪う。

 

生きる権利や命が一番大切なんでしょ?

 

ならば、最低限、直接的な対立が起きぬよう、ある程度の区別はつけましょうよ!

 

そのうえで、それ以上のこと、そこから先のことを考えましょうや!

 

 

 

ライオンとインパラが同じ群れで暮らしていますか? ある程度の平和を維持するにはある程度の区別と距離が必要

 

この現実を無視して、「誰もが平等に同じ場所で同じように生活できることが平和だ!」などと理想を掲げたことで争いごとが多発しているではないか。

 

男女の区別を曖昧にしたことで、新たな損害を被っている人もいる。

 

民族や宗教の区別を曖昧にしたことで、対立する機会が増えている。

 

その理想論に近付けた結果が今でしょ!

 

理想を掲げるばかりで現実を直視しようとしないのは「偽善」でしかない!

 

現実を見ようとしない偽善者によって、より平和が壊されたのが今。

 

 

 

事が起きれば、自分が今生きている国ではなく、自分の出身国や民族や宗教を最優先させてしまうのが人間。

 

だから、様々な移民を多く受け入れた国では、世界の各地で対立が起こる度に、国内でも似たような対立が発生する。

 

それ、本来一か所での対立が世界の各地で同時多発するようなものでしょ。

 

区別を曖昧にしたことで、それだけ対立による損害、被害が多くなったということでしょ?それが平和なの?

 

 

 

平和を確立し維持したいのなら、国連で移民、難民の条件をしっかりと定義し、ある程度の区別を維持するべきだ。

 

移民として他国で生きるには、その国の歴史を理解し、ともすれば自分には無駄と思えてしまうその国の伝統、文化、慣習を受け入れ、その国の考え方や宗教を否定したり自身の考え方や宗教を押し付けることなく、その国の憲法と法律に従って生活できることを最低条件とする!

 

経済的、政治的に困っている難民だとしても、その国の文化、慣習を受け入れることができ、その国の考え方や宗教を否定せず、自身の考え方や宗教を押し付けることなく、その国の憲法と法律に従って生活できることを最低条件とする!

 

みたいに、いつでも誰でも何人でも受け入れろという今の国連の考え方を改め、現実に世界各地で起きている対立、争いを見て現実的な対処を実施すべきだ。

 

 

 

結局は、その人の状況よりも、その人の心が大切ということ

 

どこの国においても、このような人物なら移民として歓迎されることだろう。

 

 

その国の歴史、文化を理解し、その国のために戦う覚悟のある人

 

「その国を守るために戦えるのか?」も受け入れる側としては見極めたいところ。

 

事が起きた時に、日本国内で生活していながら、自分の母国のためにスパイ活動や破壊工作などされたらたまったものではない。

 

その人の状況だけで受け入れるなら、期限付き、制限付きでの受け入れに留める。

 

その人の心、覚悟のうえで受け入れるなら、日本国民として受け入れる。

 

これが自然でしょう。

 

 

 

本来、移民は安易に受け入れられるものではなかったはず。

 

危機管理の観点からも変でしょ?

 

それを、「平和、人権のため」という理由だけで容易に受け入れさせた国連によって、世界各国で同時多発的な対立が生まれている。

 

「平和、人権のため」とは言え、その国の歴史を理解しようとせず、その国の伝統、文化、慣習を受け入れず、その国の考え方や宗教を否定し、自身の考え方や宗教を押し付けようとし、その国の憲法と法律に従おうとしない者までも受け入れるわけにはいかない。

 

それが現実!

 

 

 

国連の理想論によって、より対立が身近となり、より平和が遠のいた。

 

そういうことでしょ!

 

 

 

【追記】これも何を考えて日本を選択したのかよくわからない事例。

 

 

現状の日本を理解したうえで日本を選択したのなら、後々不満を持つことはないはずですよね?

 

同性婚を認めろ!などと叫ぶこともないはず。

 

叫ぶなら、なぜ、同性婚を認めている国を選択しなかったのか?という話になる。

 

別の目的で日本を選択したの??と思われないよう、しっかりと筋を通し続けるよう願いたい。日本の歴史、伝統、文化、慣習、などなどを理解している日本国民としては。

 

 

 

移民、難民として他国で生きることを選択したのなら、その国で生きるだけでなく、その国のために生きることも覚悟しなければならない。

 

移民、難民を受け入れる側も、受け入れるからには様々な問題、対立も入り込むことを覚悟のうえで受け入れなければならない。

 

両者共にそれだけの覚悟をしているのだろうか?

 

あまりに安易に考え過ぎではなかろうか?

 

本当に覚悟してるの?