信仰の対象と芸術の源泉である富士山を安易な観光で削っている現状
「信仰の対象と芸術の源泉」ということで世界遺産に登録されたはずの富士山。
信仰の対象として大切にしていますか?
斜面を削り、ゴミをばらまいているが、遠くからは見えないから「芸術の源泉」として問題なかろうって?
「信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産だと言いながら、信仰の対象を削りゴミで汚し、それを芸術の源泉に?
山が削られ汚されれば、いつしか信仰の対象にも芸術の源泉にもならなくなる。
人間の言う事やる事に矛盾だらけで呆れるばかり。
オーバーツーリズムや山を知らない大切にしない心無い者による無理な登山などで散々な目にあっている富士山に「富士山登山鉄道」ですか・・・
産経新聞 「山梨県の『富士山登山鉄道構想』不透明感増す 地元の市長が反対表明『傲慢な姿勢』」
本当に「信仰の対象と芸術の源泉」としての富士山を守りたいのなら、金儲け無しで入山規制をかけるのみだろう。
信仰の対象としていない者の入山を禁止とか、山を大切にしない者の入山を禁止くらいせねば本当の意味で守れない。
それに登山鉄道を現スバルラインに建設するにしても、富士山の山肌を多少は削るわけで、富士山への負担はある。
それなら建設工事なしの電気バスでよかろう。
そのうえで、一般の観光客は5合目まで!
5合目以上の富士山登山は富士山信仰している人と山を大切にする人のみに制限!
何なら、日本百名山を踏破した人のみとか?
それでは厳し過ぎる?
それなら、日本百名山のうち10座とか5座とか3座を踏破した人とか。
複数の山を登っていればそれなりの経験と知識を備えていると判断できるので、安全性の面からもよいかと。
観光客の中には登山経験なしでいきなり富士登山する人もいるようなので。
●富士山登山鉄道ではなく電気バスで!
●一般の観光客は5合目まで!
●富士山頂までの登山は富士山信仰をしている人、登山経験と知識を備えた山を大切にする人のみ!
何なら、日本百名山のうち複数の山を踏破した人に限定!
出来る限り現状を維持しつつ富士山を本当の意味で守る良い案だと思うが如何でしょう?
これでは今以上の経済効果が得られない?
やっぱり金儲け?
「信仰の対象と芸術の源泉」としての富士山を守る気は無いってか?