カタカナ英語の使用が無駄に無駄を重ねていることに気付かないのだろうか?

 

どこかの東京都知事もカタカナ英語多用しますが、誰もが容易に理解できる日本語を使う方が効率良いと思うのですがね・・・

 

なぜ、無駄に無駄を重ねるような非効率な方を選ぶのか?

 

 

「最低賃金より生活賃金!」と訴えているのに、「リビングウェイジ」というカタカナ英語を掲げ、さらに、「Living Wage」と英語表記まで掲載した挙句、結局、「最低限の生活水準を維持するために必要な生活費に基づく賃金の下限を算出」と日本語で説明するという、無駄に無駄を重ねた無駄な労力と時間を省くことの方が得た賃金を無駄なく効率よく使用できるのでは?

 

と瞬時に思ってしまった。

 

 

 

結局、「最低賃金より生活賃金!」を訴えるという目的のうえで、「リビングウェイジ」というカタカナ英語を掲げる必要性はこれっぽっちも無いし、「リビングウェイジ」というカタカナ英語を掲げなければ、「Living Wage」と英語表記まで掲載する必要も無かったはず。

 

「最低賃金より生活賃金!」と掲げ、「生活賃金とは、最低限の生活水準を維持するために必要な生活費に基づく賃金の下限を算出したもの。」と説明するだけで済む話。

 

これだけで日本人は「生活賃金」を理解できる。

 

 

 

「リビングウェイジ」というカタカナ英語を見せられたところで、日本語を使用する日本人すべてには通用しないし、カタカナ英語なので日本語を習得できていない外国人にも通用しない。

 

誰に伝えたいのだろう?

 

 

 

本質である「誰に伝えたい」という部分を見失い、上っ面の外見ばかりを気にして「リビングウェイジ」などとカタカナ英語を使ったところで、多くの人には伝わらず、結局、誰に何を伝えたかったの?という疑問だけが残る。

 

カタカナ英語を英語表記にし日本語で説明して理解してもらうより、誰もが理解しやすい日本語表記と説明文だけで訴える方が通じやすいと思うのだが・・・

 

こういった無駄を省き、効率化することが日本の社会、経済には必要なのでは?