たまたま目にしたツイートを眺めていて、まさに「法治主義 VS 情治主義」だなと感じた
どうやらBSフジの「プライムニュース」での主張のようだが・・・
感情論で言えば紀藤弁護士の主張に賛同したいところだが、紀藤弁護士の主張には法的な手続きが考慮されていない。
まぁ、感情論なので当然と言えば当然なのだが、弁護士ですよね?
「統一教会を宗教団体と考えるから」とあるが、宗教団体と考えるか考えないかが問題ではなく、そもそも、現状において法的に宗教団体として認められているという客観的事実に基づいてどうすべきかを考えなければならない。
日本は法治国家なので、法に則って物事に対処しなければならないのが大前提。
そのうえで、「統一教会を宗教団体と考えるから信教の自由で思考停止する」という主張までは理解できる。だからこそ、まずは宗教団体(宗教法人)として認めないとする法的手続きを行い、反社会的宗教団体を「宗教団体」ではない状態にすれば、思考停止状態から先へ進み、宗教弾圧にならない状態で排除が可能になる。
紀藤弁護士の主張にはこの法的手続きが抜けている。
逆に、若狭弁護士の、「自民党が、批判が多いという理由で統一教会を排除した場合、信教の自由もあるし、憲法上も大問題。」という主張に間違いはない。
日本は法治国家ということを前提に、宗教法人として認証されている状態の旧統一教会を法的手続きなしに批判が多いという理由で排除した場合、法的には宗教差別や宗教弾圧とみなされる可能性が高い。
宗教弾圧にならぬよう、排除する前に宗教法人としての認証を取り消すべく、宗教法人法第81条に規定の「解散命令」を先に進めなければならない。そのうえで関係を断つべき。
日本は法治国家なので法的手続きを確認しておくと・・・
【宗教法人法第81条】
裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。
三 当該宗教法人が第二条第一号に掲げる宗教団体である場合には、礼拝の施設が滅失し、やむを得ない事由がないのにその滅失後二年以上にわたつてその施設を備えないこと。
四 一年以上にわたつて代表役員及びその代務者を欠いていること。
五 第十四条第一項又は第三十九条第一項の規定による認証に関する認証書を交付した日から一年を経過している場合において、当該宗教法人について第十四条第一項第一号又は第三十九条第一項第三号に掲げる要件を欠いていることが判明したこと。
●解散を命ずることができるのは裁判所
(政府でも文化庁でもない)
●該当する事由としては、「一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。」が該当すると考えられる。
(この証拠は紀藤弁護士が沢山持っているはず!出番ですよ!!)
●裁判所に解散命令を請求できるのは文化庁、利害関係人、検察官
(利害関係人に被害者団体も含まれるなら紀藤弁護士が代理で請求できるのでは?)
●司法において解散に相当すると判断されれば解散命令が下される
これが法治国家日本における正しいやり方。
なのだが・・・
声高に叫ぶ者の中には法の概念を持たぬ者もいるようで・・・
若狭弁護士と紀藤弁護士の対立を、
と、冷静に客観的に見る人もいれば・・・
などと、政府が特定の宗教団体を反社会的団体と認定することに危険性を感じない人もいる。
日本国憲法において「信教の自由」が保障されており、政府が宗教団体に直接影響を及ぼせないようになっているので、法に則って司法に判断してもらう仕組みになっているのですよ、法治国家である日本は。
さらに、法の概念が無い人は、若狭氏と紀藤氏の主張を「アマッチョロいか、そうでないか」で受け取り、若狭氏が「法的に宗教法人として認められている状態」を言っているのに、「若狭氏がそう認めている」かのように捻じ曲げて受け取り、「アホ弁護士」などと中傷している。
他者の「ならば宗教法人の剥奪(法的手続きのことだろう)が必要ですが」に対して、「私は統一教会を宗教だとは思わない」などと、自分が法律かのような主張。
あなたがそう思ったところで、法的に宗教法人として認証されている状態なのですよ!、現実を見てどうすべきかを考えましょうよ!
さらに、他者が「で、その統一教会をどうやったら殲滅できますか?」と問うと、「捕まえてブチコメば良いでしょう」と来たもんだ・・・
法の概念がどこにも無い!、現実的にそれが可能ですか?、現実を見てどうすべきかを考えましょうよ!
現実を見ず、自身と仲間内での空想の中で生きているかのよう。だから話し合いにならないのでしょう。
呆れてしまうが、中にはまともな意見も
でもやはり、いまいち法治国家であることを理解しきれていない人が・・・
「要するに統一教会を『宗教組織』と考えるか、『反社組織』と考えるかで結論が変わってくる訳です。」ときて、お!わかってる人か?と思ったら・・・
「『反社組織擁護』の立場の連中が必死に『信教の自由』を持ち出して統一教会を擁護・・・」だとさ。
法治国家であること、法に則って対処すべきことを言っているのに、「統一教会擁護」として受け取る思考回路ですか・・・
つまりは、「法的なことを言う人=統一教会を擁護」と変換しなければ、自身とその仲間たちの空想の中においては辻褄が合わなくなるのでしょう。
現実を見て!、法に則って対処しましょうと言っているだけで、別に旧統一教会を擁護しているわけではありませんよ!
旧統一教会憎しなのか、自民党憎しなのか、正義の味方のつもりなのか不確かだが、なぜか、紀藤弁護士を支持する人たちの主張からは、法治国家であることや法の概念を感じられない。
憲法や法的手続きには一切触れずに「排除しろ」、「叩き潰せ」的な主張を強く行っている。
まさに、
こんな感じなのだが、
その時の状況や感情、気分で他者をどうにかしてもいいの?
そんな国になっていいの?
今回は旧統一教会だけど、いつしか自身が対象とされ、他者の感情や気分によって排除されたり、叩かれたり、場合によっては命を奪われたりしてもいいの?
その時の状況によって対象や処分方法が異なる。
それが「情治国家」ですよ?
「法治国家である日本」はすべての人が法の下においては平等であり、状況の変化や国民感情の変化だけで排除されたり逮捕されることがないよう守られてもいるのだが、「法治国家」でなく「情治国家」でよろしい??
感情で物事を決め人を裁くことを望むなら、状況の変化や国民感情の変化により今度は自身が対象となっても、法によって守られることなく叩かれ裁かれることを覚悟しておくべきだろう。