日本は法治国家のはず 感情で動くより先に法によって動かすべき

 

感情で動くような国になると、今度は自分がその感情によって迫害されるかもしれないぞ。

 

冷静に法治国家を維持しておいた方が、後々の自身にとっても安心。

 

それとも、人々の感情に煽られて差別や迫害を受けても文句ない?

 

まるで、太平洋戦争時に「鬼畜米英!」と叫んでいた時や、関東大震災時にデマによって煽られた愚か者が朝鮮人を標的にした時と同じような状態。

 

時代に逆行している日本社会。

 

歴史は繰り返されるってか?

 

 

 

現に、政権を握っている自民党までもが感情論で動いている

 

政府が法治国家としてでなく、感情で動く国へと変化させてしまった。

 

法律に則り、冷静に客観的に物事を見れば・・・

 

国が宗教法人として認めている状態の宗教団体に対し、「一切関係を持つな!」と主張しているこの状態は、宗教弾圧に当たってしまうのでは?

 

本当にこれでいいの?大丈夫?問題無い?

 

一切の関係を持ってはならないほど社会的に問題のある宗教団体ならば、宗教法人として認められている状態で避けたりはせず、宗教法人法に則って解散させるのが先。

 

宗教法人として認めている状態で避けたりすれば、宗教弾圧に該当してしまうからだ。

 

本来なら、宗教法人法に則って解散命令を出し宗教団体として認めないとしたうえで、このような団体とは「一切関係を持たない」とするのが筋でしょ。

 

それとも、日本は法律に則らず、人々の感情だけで国が宗教法人として認めている宗教団体を国全体で避けてもよい国なの?

 

法律がどうであろうと、人々の感情で何をしても良いと?

 

 

 

テレビ・新聞報道による煽りによって、「侵攻」、「殺害」に続き、「宗教弾圧」までもハードルを下げるのか?

 

これもまた最近流行りの、「宗教弾圧は絶対ダメ!、『だが』、国民感情によっては云々・・・」というやつ?

 

ここ最近で、日本国内は、「他国を侵攻するのは絶対ダメ!、『だが』、NATOの東方拡大が云々・・・」とか、「安倍元首相を暗殺するなど絶対ダメ!、『だが』、山上容疑者の生い立ちが云々・・・」など、「だが」という接続詞を付けることによって絶対ダメなものに例外を設け、他国を侵略すること、他人を殺害することへのハードルを随分と簡単に下げてしまった。

 

今度は宗教弾圧することへのハードルも下げたということか。

 

 

 

絶対ダメなはずの「侵略・侵攻」に例外を設け、

 

絶対ダメなはずの「殺害」に例外を設け、

 

絶対ダメなはずの「宗教弾圧」に例外を設けた。

 

他国を侵略し、そこで邪魔者を殺害し、他宗教を弾圧する・・・、どこかの国が国としてやっているようなことだが?

 

日本はそれを許す国になるということか??

 

となると、日本が侵略され、歯向かう者は殺害され、日本の宗教や教育、考え方に従う者を弾圧し、侵略者側の宗教や教育、考え方に従わせるようなことがあっても良いと?

 

侵略、殺害、弾圧することを許し、侵略、殺害、弾圧されることも許す国に成るべく進んでしまっているのでは?

 

 

 

絶対にダメなものには例外を設けず、絶対にダメを貫き通す国であるべきだと思う。

 

日本はそうでなくても良いのか?

 

侵略、殺害、弾圧に対して例外を設けて許してしまう国は、いつしか、簡単に侵略、殺害、弾圧される側にもなると思う。