ここまで人を憎み、貶し蔑むその思考と精神に恐怖すら感じる

 

町山智浩 わかった。国葬ただし鳥葬、で手を打とう。

 

町山智浩 獣葬でも可

 

「きっと、町山智浩氏の頭の中では、安倍元首相を鳥葬だの獣葬だのしている様子を思い浮かべているのだろうな」と考えると、町山智浩氏のその憎しみの異様さに気持ち悪さと恐怖を感じる。

 

そうまでしてでも、亡くなりこの世に居ない安倍元首相を叩き痛めつけ傷つけたいわけだ、町山智浩氏は。

 

 

 

「人を憎めば同じ分だけ自分も誰かに憎まれる」みたいなことを教えられたか聞いたか読んだかした覚えがあるが、つまりは、「自分の行いは自分に返って来る」ということなのだろうという理解のうえ、それを自身への戒めとして心の中にしっかりと持っているつもりだ。

 

そんなこともあり、私は町山智浩氏の思考が嫌いだが、「町山智浩氏を獣葬にしろ!」などとは思わないし、思ったところで実現不可能なので、そんな無駄な主張はしない。

 

実現不可能なのに町山智浩氏がそんな主張をするのは、やはり、世の中が自身の思い通りに行かないことへのストレス発散、自慰行為なのだろう。

 

 

 

私は特定の宗教を信じているわけではないが、もし、「あの世」があったとして、「この世」での行いが「あの世」で返ってきたら・・・と思うと、「あの世」があった時に後悔せぬよう「この世」を生きた方がよいのでは?と思うわけです。

 

ある意味、「この世」の先への危機管理として、私はそう考えている。

 

町山智浩氏は「この世」限りなのだから思う存分に人を憎もうという考えなのでしょう。

 

町山智浩氏のツイートをちらほら見ていると、ここまで人を憎むその思考と精神は、もはや誰にも影響を与えられないだろうと思え、

 

あぁ、世の中には、何を訴えても通じない人が本当に存在するのだなと納得できてしまう。

 

ロシアのプーチン氏や中国の習近平氏なども、自身の頭の中には確固たる思考と精神があり、周辺諸国が何を訴えようが通用しないのだろうな。

 

実際、ウクライナが何を訴えても通じない。

 

なので、

 

 

「国葬の狙いが弔問外交なら、プーチン・露大統領、習・中国主席、伊・韓国大統領を招待しなければ意味ないと思う。」との主張に対し、

 

逆に意味ないと思う、何故なら、町山智浩氏のツイートを見て思ったように、ロシアのプーチン氏や中国の習近平氏の頭の中にも町山智浩氏のように確固たる思考と精神があり、周辺諸国が何を訴えようが通用しないだろうからだ。

 

ロシアによるウクライナ侵攻によって、一方的な主張ばかりで約束をも即座に破る者を相手にどうしたらよいのか、考えても考えても答えが出てこないのですよ。

 

なので、その他の国々に対する外交によって戦争を遠ざけることができればそれで良し!

 

 

 

町山智浩氏のツイートやこれまでのロシア・中国の対応を見て考えると、憎しみや自国中心の思考しかなく話が通じない人をどこまで相手にすべきか、改めて考えさせられる。

 

理論ではなく、憎しみなどの感情によって全否定されてしまっては、どうしようもない。

 

「この人をどうにかしよう」と考えるのではなく、「こういう人なのだ」と思うしかないのだろう。

 

これが多様性を認め尊重するということになるのだろう。

 

とすれば、相手を蔑み、貶し、誹謗中傷をしてまでも何とかしてやろうと考えているなら、それは、多様性を認めず他者を尊重しない排他的な思考ということになるのだろう。

 

客観的に見て町山智浩氏の行いはどうか?