「安倍元首相の殺害はダメだが」、「ロシアによる侵攻はダメだが」、が世の中に与えた影響
人によっては、
「安倍元首相の殺害はいけないが、山上容疑者の生い立ち云々・・・」
「安倍元主張の殺害はいけないが、旧統一教会との関係云々・・・」
などと勝手に理由を付け加え、例外かのように繕って、「仕方のないことだ」、「自業自得だ」とでも言いたいのだろう。
ウクライナ侵攻も同様に、
「ロシアによる侵攻はいけないが、ウクライナが譲歩しなかったから・・・」
「ロシアによる侵攻はいけないが、ウクライナがNATO加盟を云々・・・」
などと勝手に理由を付け加え、例外かのように繕って、「ウクライナが悪いのだ」とでも言いたいのだろう。
絶対ダメなものに、「だが」とか「が」と言った接続詞など本来なら付かない。
絶対にダメということは例外などあり得ないのだから。
だが、マスコミや一部コメンテーターが、何様のつもりか絶対にダメなものに例外を作れるよう、「だが」とか「が」といった接続詞を付けてしまった。
その影響が世の中に出ている。
これもその一部では?
時事通信 「米大使館前で発火物所持か 20代男『投げ入れようと』―警視庁」
本来は明らかな犯罪行為であり、普通に生活している者ならやろうとは思わない。
だが、最近の報道のような「○○はダメだが、・・・」に当てはめれば、その犯罪行為へのハードルはたちまち低くなってしまう。
「自分の主義主張とは異なるからといって発火物を投げつけることは絶対にダメ。」で終わるはずが、
「自分の主義主張とは異なるからといって発火物を投げつけることは絶対にダメ『だが』、〇〇だから仕方ない。」といった具合に実行へのハードルが下がってしまう。
これを今の世間に広めたのは、間違いなくテレビ、新聞の報道と、いい加減なコメンテーターの発言だ。
ハードルを下げたことで、そのうちその張本人たちも標的になるかもしれない。
「自分の主義主張と異なるからといって暴力は絶対ダメ!、『だが』、マスコミの報道ではその例外もあり得るみたいなことを言っているのでOKでしょ!、ならば、自分の主義主張とは異なる主張をしているマスコミを標的に・・・」
なんてことになるやもしれない。
自分の行いは自分に返って来るもの。
その覚悟のうえで報道やコメントをするべきだろう。