朝日新聞は、自分の嫌いな人であれば、その人の人権や命などどうでもいい ということでしょ?
相変わらずですな!
私が新聞を読み始めた子供の頃にこんな記事を目にし、今でもはっきりと覚えている事件。
「サンゴに傷がついている、こんなことした奴誰だ?!」みたいな記事を作っておいて
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実は記事のために元の傷をなぞって見やすくしたと説明
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ところが、実際は元々傷など無く、朝日新聞社員が「KY」と刻み付け、記事を捏造したことが判明
捏造記事のために嘘を塗り重ねたわけだ。
「記事のためなら環境をも破壊するのか朝日新聞は」と子供ながらに思った事件でした。
そんな自身の主義主張のためならサンゴを平気で傷つける朝日新聞が、自身の主義主張のためなら人権や命をも軽視するという思考を世の中にさらけ出した事例が発生。
「有料会員記事です」だって、お金払う価値がどれほどあるのか疑問。
しかし、よくもまあ、ここまで人を憎めるものだ。
その自身の精神や思考に恐怖を・・・感じるわけないか
自身が人に対しそうするということは、自身も誰かにそうされてもいいと宣言しているようなもの。
私は、「正義」とは、「自身がされたくないことは他者にしない、自身がされて嬉しいことは他者にもしてあげる」ことだと考え(正義を一番端的に子供でもわかるように言えばの話)、これが唯一のものであるべきと考えている。
「ロシアの正義」とか、「朝日新聞の正義」などと、いくつもの正義があろうものなら、「虐殺者の正義」、「殺人犯の正義」、「いじめる者の正義」などなど、収拾がつかなくなる。
その私が思う正義に照らし合わせると、朝日新聞社や朝日新聞に川柳もどきの暴言を送っている者は、自身もそう思われ、そうされていいわけだ。
自身が死んだ時に、他者にこんな風に川柳もどきの暴言を投げつけられていいわけね。
違うの?
もし、それは嫌だと思うなら、そんなことはしないことだ。それが正義だ!
批判するなら、「どこがどうでどうだからダメで、そこをどうすればよい」と言うべきで、こんなものは批判でも川柳でもなく自己満足を得るための暴言でしかないわ!
言わば自分の不満解消のために暴言をぶん投げて自分を慰めているだけで、人前に自分のオナニーさらけ出しているのと同じこと。
そのことに気付けないとは・・・ もはや気の毒にさえ思えてくる。
そして、こんなものを「川柳」として、まともな読者もいるであろう朝日新聞紙面に掲載してしまう朝日新聞社。
購読者増えるといいですね。
客観的に見る限り、「人権を守れ!」、「命を大切に!」的な主張をしている割に、朝日新聞社の主義主張とは合わない人物に対してはそれらを軽んじているように見える。
それは、朝日新聞社にとっての人権や命は誰に対しても平等なものではなく、朝日新聞社の主義主張に合う人たちだけの限定的なもので、朝日新聞社の主義主張に反する人の人権や命などどうでもいいということになる。
客観的事実としてそう結論づけられる。
もし、そうでないとしたら、どうも主張と実際の行動に矛盾があるようですが?
朝日新聞社関係者が亡くなった時に上記のような川柳もどきの暴言が送られてきたとして、それを掲載するの?
どうせ、適当な言い訳をつけて掲載しないでしょ?
もう面倒だから本音をさらけ出してはどうか?
朝日新聞社は自身の主義主張に反する者の人権や命など考慮しない!と。
実際、今やっていることを見るとそうとしか思えない。
そして、もう一つ!
朝日新聞社 「記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社慰安婦報道、第三者委報告書」
このページへのリンクを朝日新聞のWEBサイト「朝日新聞デジタル」のトップページの上部、わかりやすい位置にバナーとして設置すること!
朝日新聞デジタルのサイトからこの「慰安婦報道、第三者委報告書」のページにたどり着くことは困難かと。不可能かもしれない。
都合の悪いことを隠すな!と主張している割に、都合の悪い事を隠しているようにしか見えない。
ほれ、また矛盾。
もう面倒だから本音をさらけ出してはどうか?
朝日新聞社は自社にとって都合の悪い事は隠します!でも、他者には隠すなと主張します!と。
やはり、そこには(私の言う)正義は無いな。「朝日新聞社の正義」という勝手に捏造した正義があるのでしょう。
ちなみにこんなこともありました!
ITmedia 「朝日新聞、慰安婦問題訂正記事に『検索回避タグ』設定 『確認漏れだった』と謝罪」
確認漏れねぇ・・・
最後に一言、「珊瑚を大切に」