みんなって誰? たくさんってどんだけ? 不明確なものに左右されるな!
お前は子供かっ!
「みんなたくさん持ってるもん!だから買って買って!!」てか?
世の中は物事に対し検証しろと主張するくせに、その「みんな」とはどのような人物たちなのか、「たくさん」とは具体的にどのような数なのかは明確にしないのか?
維新・松井代表、安倍元首相の国葬に懸念「“反安倍”たくさんいる」「批判が遺族に向くのは本人も望んでいないんじゃないか」 https://t.co/XpWFvgi9jc
— Share News Japan (@sharenewsjapan1) July 16, 2022
「“反安倍”たくさんいる」ですか・・・
そう言うなら、「世界259もの国、地域、組織からたくさんの弔意をいただいている」し、各所での記帳もたくさんされている」し、「各所での献花もたくさんされている」のですがね。
そして、その「“反安倍”たくさんいる」は、重複して数えていません?
批判の声は賛成の声より大きく、そして、何度も何度も同じように繰り返される。
テレビ、新聞での報道もそう。
中身は同じことを時間帯を変え、顔ぶれを変え、何度も何度も報じる。
報道番組や情報番組でいきり立ったコメンテーターを呼び寄せては、声高にものを言わせを繰り返す。
こんなものをまともに受け取っていては、「強い声で数多くの批判が」と勘違いしてしまう。
国会前などのデモも同じ。
毎度毎度、同じ顔触れが集まりデモをしていたりする。
毎度毎度デモしている割に、人数は一定数から増えてはいかない。
なぜでしょう??
少なくとも、批判する者が言う「みんな」や「たくさん」の具体的な数は見えない。
本当に「みんな」なのか、本当に「たくさん」なのかは不明で、Aさん、Bさん、Aさん、Bさん、と同じ人を数えているかもしれないようなあやふやなもの。
世界259もの国、地域、組織からの弔意や、各所で受け付けた記帳の数は明確にできるし、献花だってある程度具体的な数は出せる。
それよりも何よりも、国民が投票する選挙にて明確な数が出ている。
何度も何度も声高に批判を報じるテレビや新聞、その他メディア、SNSなどによって、「『みんな』から『たくさん』の批判が」などと勘違いするよう洗脳されてはいないかを再確認すべきだろう。
「『みんな』から『たくさん』の批判が」と思っている人が、「みんなとは誰?どんな人たち?」、「たくさんってどんだけ?」が説明できないようなら、洗脳されている可能性が高い。
声の大きさや同じ内容の繰り返しの数ではなく、本当の数がどうなのか?
それがあやふやになると民主主義は崩壊する。
人権を無視するかのような暴力的な批判、しかも、その数は世の中の大勢に比べて少ない。
そんな批判に左右されてはならない。
今明確なのは、声の大きさに関係なく、繰り返すこともできない、平等に主張することができる選挙の結果だ。そうでなければ民主主義はどこへ行ったのか?