ウクライナが大変な時に玉城知事が「ゼレンスキーです」と冗談を言った件

 

5月25日ブログ記事 「逆立ちしてもゼレンスキー大統領のようにはなれない玉城沖縄県知事が会議で『ゼレンスキーです』だって」

 

 

 

この一件を知り、私は、

 

他国が侵略されていようが、ウクライナ国民が虐殺により命を奪われていようが、実は他人事にしか考えていないくせに、「自由」だの、「人権」だの、「命」だのという言葉を道具として使って主張やら批判やらを展開しているわけか・・・

 

と思ったわけですが、それを裏付けるような出来事がさらに起きていた!!

 

 

 

玉城デニー知事がトップの沖縄県が報道を控えるよう要請

 

沖縄タイムス 「沖縄県が『報道を控えて』と各社に通知 玉城デニー知事が『ゼレンスキーです』と発言した会議前の雑談」

 

 

 

玉城知事がウクライナの惨状をよそに「ゼレンスキーです」などと冗談を言ったことを報道されるのは都合が悪いので、報道を控えろと?

 

それって、「言論統制」ってやつでは?

 

ほら、玉城デニー氏の本性が見えた!

 

日頃、自由を守れ、権利を守れ、命を守れなどと言っていても、それは上っ面だけで、自分にとって都合が悪ければ平気で「報道の自由」、「知る権利」を侵害しようとするわけだ。

 

 

 

ウクライナの惨状、ゼレンスキー大統領の苦悩、ウクライナ国民の悲しみ、怒りを思えば、とてもとても「ゼレンスキーです!」などという冗談など言えまい。

 

ところが、玉城デニー氏は平気で軽々しく言えてしまった。

 

それは、「自由」も「権利」も「命」も蔑ろにされ、武力で踏みつけられているウクライナの状況を何とも思っていないからだろう。

 

そして、それをさらに裏付けるかのように、日本における「報道の自由」や「知る権利」に対しても平気で軽々しく制限をかけようとした。

 

玉城デニー氏の言う、「自由」、「権利」、「命」という単語は、単なる単語でしかなく、自身を善人であるかのように装うための道具に過ぎないということだ。

 

 

 

人は、発言だけでなく行動もしっかりと見るべきだ。

 

聞こえの良いことを言う人ほど、しっかりとその人の行動を細かく見ておくとよい。

 

玉城デニー氏は、ウクライナのことなど他人事のように「ゼレンスキーです」などと冗談を言えてしまう程度の心の持ち主で、自分の都合が悪ければ他者の権利を平気で制限しようとする人間なのだな、ということが今回の一件で判明しました。