票が集まらなければ共闘見直し、票集めだけが目的の共闘だったということ
党内には、枝野氏が主導した共産党との共闘路線が「敗因」として、路線転換を求める声もある。
今回の衆院選に当たり、立民は政権交代が実現した場合、「限定的な閣外からの協力」を得ることで共産党と合意。共産党、国民民主党、れいわ新選組、社民党の4野党と213選挙区で候補者を一本化したものの、獲得議席は96と振るわなかった。
「一貫している枝野」と自身で言っていた枝野幸男氏が代表の立憲民主党、選挙前と選挙後で一貫していないようだが?
単なる票集め、数値のためだけで、政治信条、理念、信念、理想、野望などなど、あらゆる面でまるで異なる日本共産党と共闘した立憲民主党。
まだ気付きませんか?
立憲民主党は国民の投票を単なる数としか思っていないということですよ。
国民が投じた票を軽視しているということは、国民を軽視しているも同然!
国民が投じる票は単なる数ではなく、国民個人個人の意思が含まれているものだ。
それを単なる数集めとしか考えず、そのためだけに考え方がまるで異なる日本共産党と協力し選挙に臨むなど、国民を蔑ろにしているとしか受け取れない。
挙句の果てには「路線転換」?共産党との共闘を理由に投票した国民をも蔑ろに?
どこまでも自己中心的な立憲民主党だ。
まるで国民のことなど考えていないことがわかる。
選挙前には「日本共産党との共闘!」などと言っておいて票を集めたくせに、思ったほど票が集まらないと選挙後には「日本共産党との共闘を見直し!」などと手の平を返す。
「一貫している枝野」が代表の党とは思えぬ思考。
共産党との共闘だから立憲民主党に票を投じた国民もいるであろうに、その人たちの意思をも容易に踏みにじるわけだ。
もし、共産党との共闘を見直そうものなら、投票した人たちは虚しく思うことだろう。
それでも、立憲民主党の小川淳也氏のような人にとっては関係ないのでしょうね。
自分の政治信条のためなら他者の政治信条や思いなど無視して他党の候補者に立候補を断念させようとするのですから。
【参考】10月19日のブログ記事「立憲民主党に質問 自分目線の政治信条を他党の候補者に従わせようとするのは傲慢では?他者を尊重せよ」
そういう人を公認し、そういう人を総理大臣にしたいと思う政党という面では一貫しているのかもしれないが、他者の思いを軽視・無視できてしまう人が集まった政党であることを証明したようなものだろう。
選挙前と選挙後で言動が変わるのは民主党政権時から変わらず
「共産党との共闘」や「政権を獲得した際には共産党と閣外協力」が良いと思い立憲民主党に投票した国民にとって、選挙後の「共産党との共闘見直し論」には騙された感があるだろう。
かつての民主党政権時も同じことがありましたよね?
「高速道路無料化」、「ガソリン税見直し」、「普天間基地県外移設」、などなど聞こえの良いことばかりを掲げて選挙に臨み票を集めたのはいいが、選挙後どうでした?
「高速道路無料化は財源の目途が立たず断念」、「普天間基地はこれまで通り県内の辺野古に移設」、ガソリン税見直しは何かしようとしたのか?といった具合に、選挙前と選挙後で真逆のことばかりで散々騙された。
自身の政治信条のために他者の立候補を断念させようとする人、拉致被害者家族の思いを踏みにじるような発言をする人、弱者である子供目線でなく50代の自分目線優先で考える人、非課税が特長のNISAに課税すると断言してしまう不勉強な人、
さらには、民主党政権の失敗は政権を与えられなかった経験不足が原因だと言い、自分たちの勉強不足だとは考えていない枝野幸男氏。
このような人たちがいる時点で、10年前から何も学んでいない、成長していない、何ら変わっていない人たちの政党だなとは感じていた。
選挙前と選挙後で投票した国民の思いなど無視して容易に正反対のことを言ったり、行ったりすることからも、そうであることがはっきりと分かった!間違いない!