なぜ、日本国民は物事を科学的、現実的に考えられないのだろう?

 

不安感とか怒りといった感情が前面にあり、そればかりでどうこうしようとする。

 

困ったことに、それが国会でも、専門家の集まりにおいてもそんな傾向にある。

 

 

 

オリンピックを開催したことで気が緩み感染拡大に至ったから、オリンピック開催が悪い。」などと本気で主張している人は、自ら自由や権利を放棄しているようなものだろう。

 

自分たちは国家にコントロールされないと、気を引き締めたり、気を緩めたりできませんよと言っているようなものだ。

 

そもそも、「『気の緩み』が感染拡大の原因だ」などと言っている時点で、非科学的、非現実的で、本来の原因追究、本来すべき感染対策の確立の邪魔をしている

 

 

 

「気の緩み」だけで感染するのか?

 

家で風呂に入って気を緩めると感染するとでも?そんなわけない!

 

それだけでは感染に至らないのに、さも、それがすべてかのように指摘、批判するという頓珍漢なことをしているから、2年目だというのに感染をコントロールできていないのだ。

 

他にも、「移動」、「集まる」、「飲食」、「飲酒」などへの制限も、それぞれ個別に科学的な根拠はあるが、それだけが原因で感染するのか?、その一つの条件だけで感染するのか?

 

 

 

「移動」するだけで感染するの?「集まる」だけで感染するの?

 

だとしたら、埼玉、千葉、神奈川などから都内に通勤している人は皆感染するというのか?

 

都内への通勤・通学者は300万人とも言われている。

 

リモートワークが進んだとは言え、今でも100万人以上は都内に通勤・通学しているだろう。

 

それでも埼玉県・千葉県・神奈川県の感染者は1日2,000人前後、東京都内の感染者は1日5,000人前後だ。

 

都内へ「移動」するだけ、電車内に「集まる」だけで感染するならこんな数には留まらない。

 

人が移動するだけで感染するわけではない、人が集まっているだけで感染するわけではない。

 

移動した先で、集まった先で、人がどのような行動を取るかによって感染するか、感染しないか、集団感染するか、集団感染しないかが決まる。

 

「移動」、「集まる」といった条件だけで感染するかのような過剰反応は、もう2年目なのだからやめるべきではないだろうか?

 

 

 

科学的な思考がないことで、本来の原因追究、本来取るべき感染対策の確立に至らない

 

一番の問題点は、「移動」+「感染するような行動」、「集まる」+「感染するような行動」の「感染するような行動」なのに、「移動」するのが悪い、「集まる」のが悪いかのような誤解を生み、本来の感染原因である「感染するような行動」部分への原因追究や改善にいつまで経っても至らない。

 

このことこそ、国民への誤ったメッセージによる弊害だろう。

 

国民全体で科学的な思考に基づいた実効性のある感染対策をすべきなのに、国会や専門家までもが、「オリンピック開催で国民の気が緩んで感染拡大した」とか、「ロックダウンを検討すべき」などと非科学的で、根本の解決に至らない主張をしている。

 

欧米諸国はロックダウンを実施しているが、感染拡大を二度と起こさないようになったか?

 

ロックダウンは一時的に感染拡大を抑えられるが、感染拡大の発生を防げるようにはならない。

 

それは、強引に「移動」、「集まる」などの行動を制限しているだけだから

 

 

 

オリンピック開催による気の緩みや短絡的な行動制限を主張している者によって根本の原因追究が蔑ろにされている

 

科学的に考えて、ウイルス感染とは、「移動」だけ、「集まる」だけ、「飲食」だけで起きるものではない。

 

前提条件として、そこにウイルスが存在していること。

 

ウイルスが存在している状況下において、体内にウイルスを取り込んでしまう行動をすることによってウイルス感染に至るはずだ。

 

なので、「移動」+「感染するような行動」+「ウイルスの存在」という3つの条件が合わさると感染に至るということ。

 

「移動」だけで感染するわけではない、「感染するような行動」だけで感染するわけでもない、「ウイルスが存在」しているだけで感染するわけでもない。

 

 

 

「移動」した先、「集まる」場において、「飲食」の最中、などで「感染するような行動」をしなければ、そこに「ウイルスの存在」があったとしても感染はしないし、

 

「移動」した先、「集まる」場において、「飲食」の最中、などで「感染するような行動」をしても、たまたまそこに「ウイルスの存在」が無ければ感染はしない。

 

ということは、現状、世の中からウイルスを消し去ることはできないし、目に見えない存在なので、常に「ウイルスが存在しているかもしれない」と考えることを基本としたうえで、「感染するような行動」をしなければ、「移動」も「集まる」も「飲食」や「飲酒」も問題ないわけだ。

 

それなのに、「オリンピック開催で気が緩んだのが原因だ!」とか、「ロックダウンを検討すべきだ!」という思考は根本の原因追究を蔑ろにしているのではなかろうか?

 

 

 

「移動」、「集まる」、「飲食(外食)」、「飲酒(外食)」などの行動制限をすれば、「ウイルスの存在」に接する機会も減るし、「感染するような行動」にも至らないので手っ取り早く感染拡大を抑えられるが、長期間続けられることではないし、際限なく何度も実施されても困るし、行動制限を解除すれば元通りになり、再びの感染拡大も時間の問題となるだけ。

 

「ウイルスの存在」がある以上、根本の解決には至らない。

 

 

 

本来の原因を科学的に追究し、本来すべき現実的な感染対策を確立するべき

 

本来すべきは、「移動」、「集まる」、「飲食(外食)」、「飲酒(外食)」などの大雑把に一括りにした行動制限ではなく、

 

「移動」した先、「集まる」場、「飲食」の際における「感染するような行動」への対処だろう。

 

コロナ禍となり2年目なのだから、人間ならば成長しましょうよ!

 

 

 

具体的に「感染するような行動」を例示し、医学的、科学的な根拠に基づいて、「■■だと××となる、だから〇〇すればいい!」といった具合に、明確な根拠と明確な対応策を国民に伝え、それをコロナ禍における常識やマナーとして国民生活の中に定着させるよう動くべきだと思う。そのためなら一時的な義務化や罰則規定を設けることも考えるべきだ。

 

「ウイルスの存在」がある以上、緊急事態宣言やロックダウンは一時的な感染拡大抑制にしかならず、二度と緊急事態宣言やロックダウンをしないためには、これをコツコツと進めるよりほか無いと思う。

 

 

 

コロナ禍における常識やマナーを作ったとしても、当然、守らない国民もいるだろう。

 

「気を緩めるな!」と言ったところで緩める人はいるし、緊急事態宣言下においても要請に従わない人はいるわけで、それは同じこと。

 

そして、他国はロックダウンを何度も繰り返している。

 

であるならば、より根本の解決に近付く感染対策の方が効率的では?