私の知る限り、「東京オリンピック開催反対!、延期せよ!、中止せよ!」と主張している人たちに、延期や中止の際のオリンピック選手への対応について触れている人、良い案を出している人はいませんでした。

 

東京オリンピック延期せよ!、中止せよ!と言い放つだけで、そうなった時のオリンピック選手については一切触れず、選手たちの精神のケア、何らかの救済措置に言及しないのは無責任ではないだろうか?

 

そのくせ、「選手への応援と政府の危機管理体制への姿勢は別です。」などともっともらしく言い訳をしている人もいる。

 

 

 

 

 

言い訳をしていてもなお、延期時、中止時のオリンピック選手のことには触れない。

 

 

 

世界のトップを競い合うため2020年を照準に年月をかけてトレーニングし調整してきたスポーツ選手にとって1年の延期でも大変なことでしょう。

 

それがさらに1年延期となったら、中止になろうものなら、ということまでも考えての開催反対、延期せよ!、中止せよ!であるならば、その際の選手たちへのケア、救済措置についての良き案も同時に主張していなければおかしい。

 

それとも、延期や中止になった時、選手たちに、「次を目指せばいいじゃない」、「フランス大会に出場すればいいじゃない」とでも言うつもりだったのだろうか?

 

 

 

世界のトップを競い合う選手たちは、人生をかけて日々努力し、それを積み重ねて今がある人たちだ。

 

「スポーツしかできないバカ」などと言っているような大学教授(ツイッター参照)が容易にできるようなことでもないし、学校の運動会とはまるで違うものに挑んでいる人たちだ。

 

その選手たちに、「次を目指せばいいじゃない」、「フランス大会に出場すればいいじゃない」と言うのは、震災で家を失った被災者に、「またローンを組んで家を建てればいいじゃない」、震災で家族を失った被災者に、「再婚してまた家族を作ればいいじゃない」と言っているようなものだ。

 

震災で失った家には住んだ年数分の家族との思い出が積み重なっている。

 

震災で失った家族については言うまでもない。

 

どれだけ積み重ねたものがあるのかを想像したら、「また頑張ればいいじゃない」などと薄っぺらなことなど口が裂けても言えないと思うのが、人を思いやれるまともな人なのではなかろうか?

 

 

 

自分の主張ばかりで本来の主役であるスポーツ選手のことは深慮せず、主張と行動の矛盾を指摘されたら、政府の危機管理体制への姿勢と選手への応援は別だと言う。

 

その言い訳が証明しているではないか。

 

本来は選手へのケアも含めたうえで政府批判をしなければならない。

 

つまり、政府批判と選手のことを別にしてはいけないのだ。

 

だが、蓮舫氏は、「政府の危機管理体制への姿勢と選手への応援は別」と主張している。

 

政府批判はするけど、選手は別なので触れず考えず言及しない。

 

自分でそう言ったようなものだ。

 

 

 

オリンピック開催に反対するのも結構、延期や中止を主張するのも自由だ。

 

だが、その主張があまりにも雑。

 

もっと広く深く考えるべきだし、延期や中止の際の選手のことも考えなければならないし、具体的な対案、改善策についても言及するべきだ。

 

そうでなければ、その主張の先が見えず闇でしかない。

 

 

 

私は、これ以上の延期や中止にした際に、人生をかけて日々努力し積み重ねてきた選手たちに対してどうすればいいのか考えても考えても良い案どころか、かける言葉一つ思い浮かばなかった。

 

なので、最悪は無観客でもいいから、競技できる場、競い合える場、披露できる場、その機会を作ろうではないかという結論に至った。

 

※「最悪は無観客でも」と書いたが、プロ野球やJリーグが有観客なのだから、五輪も有観客で良いと思っている。

【参考】7月18日のブログ記事「子供から『他のスポーツは観客が居るのに、なぜ東京オリンピックだけ居ないの?』と質問されたら・・・

 

延期しろ!、中止しろ!と叫んでいる人たちは、人生をかけて日々努力し積み重ねてきた選手たちに対してどうすればいいのかの良い案と選手たちにかける言葉も思い浮かんだのでしょう。

 

ならば、それを説明したうえで、延期しろ!、中止しろ!と叫んでもらいたい。